世界が飛翔する刻

第一章 天空への軌道(ガイド)―前編―

2010/1/24

実習初日、マサト達のグループはオキナワ・エレベータのアースポート〝ポート・トゥモール〟へと向かった。エレベータは数時間もすると〝宇宙〟を感じる事が出来る高度に達する。三者三様に宇宙空間を楽しんでいるとあっという間にペントハウス・ステーションに到着するのだった。

~2069年11月~

デッキで友人を待つ三人の正面で、轟音を響かせながら飛行機が一機飛び立つ。

「リズ君、遅いね。あとで説教しとかないと」

三人の中で一番小柄なフィリオが声量を抑えて言った。声には出さないが、苛々しているのであろう。時々、尻尾を振り下ろしているのが見える。

「まあ、何時ものことだけどな。おっ、サトル、見てみろよ。あれって、新型のBWB機じゃね」

フィリオの横にいたマサトが、たった今駐機場から出てきた飛行機を指差す。

「あれは、軌道エレベータ線に開発された専用機だね。確か、先月に就航したばかりだったはずだよ。今から僕らが乗るのもあれじゃないかな? エンジンの音、いいね」

今時珍しくメガネをかけた少年、サトルがPDAでマサトにデータを転送しながら答えた。長い耳を立てて、滑走路の方へと向けている。飛行機の話題で盛り上がる二人を見て、フィリオがたまらず声を荒げる。

「……二人とも、飛行機なんかどうでもいいから、集合時間の心配してよ! もう、何でリズ君は応答しないの!」

フィリオは苛々が頂点に達したのか、PDAを振り回す。マサトは飛行機からなくなく目を離し、親友の腕を掴んで、なだめようとする。

「フィル、そんなに心配しなくても大丈夫だって。いくらあいつでもさすがに今日は遅刻しないと思うぞ。多分だけど」

「多分でしょ。そんなの、何の保障にもならないよ。やっぱり、今度からリズ君には発信器付けとかないと。サトル君、そういうの得意でしょ。今度、リズ君に発信器を埋め込んでおいてよ」

唐突に無茶苦茶なことを言い出すフィリオ。無理難題を吹っかけられたサトルは、返事に窮したのか、助けを求めてマサトへ視線を投げかける。

マサトがどうフォローしようか考えあぐねていたとき、場にそぐわない元気な声が聞こえた。

「おーい! おまたせっ」

一人用とは思えない、大きなキャリーケースをごろごろと引きずり、ようやくリズが現れる。手が塞がっているためか、代わりに尻尾を振っている。少しは急ごうとしているようだが、背中に背負っている頭からはみ出るほどのバックパックに体が振り回され、あまり早く動けないようだ。

「ごめん、ごめん。ちょっと遅れちゃったよ」

ようやくマサト達の元へ到着し、暢気に謝るリズにフィリオが近づく。

「なんか、途中で荷物がでかいから、追加料金よこせとか言われちゃって……」

――ガスッ

フィリオが思いっきりリズのスネを蹴飛ばす。体の回転を上手く使って威力を上げたようだ。いかにも痛そうな重たい音がした。悲鳴を上げてうずくまるリズ。

フィリオはスネを押さえるリズを一瞥もせずに、マサト達に命じる。

「僕は宿森先生に全員揃ったことを伝えてくるよ。あと、その荷物だと宇宙行けないから、マサトとサトル君でいらないもの捨ててあげてね。で、整理が済んだら、出発ロビーに集合だから。じゃ、よろしくね」

「「了解」」

二人はきれいに声を揃えて答えた。フィリオが怒っている場合、おいそれとは逆らえない。フィリオが去った後、二人はまだうずくまっているリズを無視して、大きな荷物に詰め込まれたガラクタを勝手に仕分け始めた。

荷物の整理がひと段落着いた後、三人はフィリオの指示通り出発ロビーへ向う。勝手に荷物を分けられたリズは終始機嫌が悪く、二人に対してぶつぶつと文句を言っている。

出発ロビーではフィリオと宿森先生がなにやら打ち合わせをしていたようだ。近づく三人に気付いた宿森先生が手を上げた。

「おお、ようやく到着か。オルシーニ君、キミはもうちょっと……皆に気を遣う事を覚えたほうが良いと思うよ」

宿森先生がフィリオとリズを交互に見る。

「リズ君、ちゃんと荷物は分けれた? 重量制限をオーバーしたものは寮に送り返せるように手配してもらったから。荷物はさっさと預けてね。あと、出国手続きは代理申請しといたから、承認するの忘れないでよ」

フィリオは捲し立てる。世界政府が樹立した後も、事務手続きはすぐには変えられず、〝国〟の概念は相変わらず残っている。特別な地域を除けば手続きなしに他国へ入ることが出来るが、これから向かう軌道エレベータの入口であるアースポートはその特別な地域に当たるため、出国許可を得る必要がある。出国許可はネットワークで申請できるが、多少の時間は必要だ。今回は機転を聞かしたフィリオのおかげで、大きな遅れは避けられそうである。フィリオは怒っていても、やることに抜かりはない。

「わっ、分かったよ。ありがと。迷惑かけてごめん」

さすがに悪いと感じたのか、リズが下を向いて謝罪の言葉を述べる。

少し間を置いて、宿森先生が手をパンと叩き、四人の注目を引いた。

「じゃあ、皆そろったところで、これからの日程を簡単に説明するね。前渡した実習計画には書いてあったと思うけど、みてない人も居そうだしね」

宿森先生の鋭い目がリズに向けられる。口調から怒ってないのは分かるが、周囲の人から見ればリズを睨んでいるとしか見えないだろう。マサトもなれるまでは、目を会わす度にびくびくしていた。今でも宿森先生の視線からはなるべく逃れたいと思う。

「これから、セキュリティ・ゲートを通り、出国審査ゲートを抜けると、日本エリアを離れて世界政府の直轄管理区域に入ります。その後、オキナワ・エレベータのアースポート、通称〝ポート・トゥモール〟へ飛行機で向かいます。そこでもう一度セキュリティ・チェックがあって、ようやくほむらへ向かうキャリアに乗れることになります。キャリアに乗った後は、各自、ほむら到着まで自由行動で、明日の十一時に到着ロビー集合です。自由行動といっても、一応、実習中であることを肝に命じて、あまり遊び過ぎないようにしてください。あと、今回乗るキャリアはほむらが終点じゃないので、降りるのを忘れないように。私とは別行動になるから、ユーレ君のことをよく聞いて、責任ある行動をして下さいね」

一気に説明した宿森先生は時刻を確認する。

「ええっと、今、朝の七時だから、何とか間に合うかな。私達のグループが最後になってしまったけど、キャリアの出発時刻は午後一時だから、まあ大丈夫でしょう」

ポート・トゥモールでのセキュリティ・チェックは飛行機搭乗時と比べても段違いに厳しく、時間がかかる。

「すいません、宿森先生。さあ、時間ないんだから急いで!」

フィリオに急かされるようにマサト達はセキュリティ・ゲートへ向かった。

リズの荷物がX線検査に引っかかるなど若干のトラブルはあったものの、五人は無事ポート・トゥモールへと向かう飛行機に乗り込む。ポート・トゥモールは南大東島の東沖合い約二百キロに位置しており、約四十五分で到着する。セキュリティ・チェックにかかった時間に比べ、実際に乗っている時間はあっという間だ。

「なあ、マサト。軌道エレベータってどんな感じなんだ?」

ちゃっかりと窓際の席を確保したリズが興味津々に尋ねる。マサト、フィリオ、サトルは親族に関係者がいるため、何度かポート・トゥモールには行ったことがある。しかし、アースポートはセキュリティの都合上、気軽に行ける場所ではなく、リズのように映像では見たことはあっても、実物は見たことはないという人も多い。最近は観光ツアーが企画されるなど、認識は進んでいるが、中にはいまだに天まで届く、大きなタワーが立っていると勘違いしている人さえいる。

「うーん…… ポート・トゥモールはすごいけど、軌道エレベータ自体は思ったより地味だよ。ただの細い帯がたれているだけだからなあ。でも、支えが全然見えないから、確かに不思議な感じはするかも。あとは、エレベータを囲むタワーだな。あれは凄いぞ」

「そっかぁ。早くみたいなぁ」

リズは待ちきれない様子でずっと窓の外を見ている。窓を覗きこむその様子はまるで小さな子供だ。対して、マサトを挟んでリズと反対に座るフィリオはというと、窓の外には興味を示さず、うつらうつらと眠そうにしている。

コンタクトのエリア表示が〝日本〟から〝世界政府直轄域〟へ変わるのを見て、マサトがリズに話しかける。

「ほら、もうそろそろ見えてくるはずだぜ」

「おっ、あのでっかいのがトゥモールか? めちゃめちゃでかいじゃん! 学校よりでかいんじゃね?」

広大な海の上に突然、巨大な構造物が現れる。全体は大きな楕円形をしており、その長辺は三キロメートルにも及ぶ。中心部は真ん中にスリットが入った二枚貝のようなドームに覆われ、スリットから斜めに突き出した四本のタワーが圧巻である。タワーは地上千メートルくらいで途切れ、その先には何もないように見える。しかし実際は、カーボンナノチューブで出来た軌道エレベータの本体が続いているはずだ。楕円の端に目を向けると、長方形の滑走路と管制塔が見える。出発した北九州国際空港に比べるとずいぶんと小いが、これがポート・トゥモール唯一の入り口である。

「リズ君、知ってる? ここから先は特別に許可された飛行機しか入れないんだよ」

サトルが人差し指を立てる。

「もし、勝手に入ったら、どうなるんだ?」

「そのときは、もちろん打ち落とされちゃうよ。ドカーンって」

サトルが腕をいっぱいに広げて爆発を再現する。なぜか楽しそうだ。

「……ここって結構危ないとこなんだな」

「まあ、リズ君が変なことしなければ大丈夫だよ」

寝ていたはずのフィリオが皆に聞こえる声でつぶやく。どうやらまだ怒っているらしい。

「ははっ、確かに、リズが乗ってるだけで打ち落とされるかもな。危険人物が乗ってるからとか言って」

「さっきも検査に引っかかってたしね」

マサトとサトルも一緒になってからかい始めた。ある意味、この二人は一番の被害者である。

「皆してそんなこと言って……」

リズが何か言いかけたとき、アナウンスの声が着陸が近いことを告げた。

トゥモールへ着いた一行は周囲を眺める暇もなく搭乗手続きへと向かう。ここでのセキュリティ・チェックは段違いに厳しく、全ての荷物はX検査に加え、成分分析装置による危険物の有無確認、目視確認が行われる。また、乗客に対しても精密検査が行われる。当然、搭乗までにはかなりの時間がかかることになる。マサト達は四時間ほどかけて、ようやくセキュリティ・エリアを抜けた。

「はぁ、ようやく終わった。疲れたね。宿森先生は楽そうでいいなぁ」

フィリオが首を振って疲れをアピールする。

「まあ、宿森先生はほむらの職員だからな。俺らとは違うよ」

マサトは早速近くの自販機でイチゴ・オレを購入し、糖分を補給した。

「何疲れてんだよ! せっかくのチャンスなんだし、展望デッキ行こうぜ。展望デッキ!」

リズが興奮気味に鼻をヒクヒクさせながら、皆を展望デッキへと誘う。目は落ち着きなく周囲を見渡し、完全に〝おのぼりさん〟状態である。

「ああ、分かったよ。これ飲み終わったらすぐ行くよ」

一人、元気に駆け出したリズを追って、三人はゆっくりと歩き出した。

展望デッキは軌道エレベータを囲む〝タワー〟の壁面に位置しており、軌道エレベータ本体とこれから宇宙へ向かうキャリア、軌道エレベータを囲む大きなパラボラアンテナ群が見渡せる。軌道エレベータ本体は幅二メートル程度の金属に覆われたカーボンナノチューブで出来ている薄い帯状のケーブルであり、その帯は巨大なアームでタワーに固定されている。以前、マサトが言ったように、ケーブル自体のインパクトは少ない。むしろ、薄すぎてこんなもので宇宙にいけるのかと不安になるほどだ。

インパクトという点では、軌道エレベータを囲むタワーのほうが目を引く。複雑に絡み合う鉄骨の網目を透明な樹脂が埋め、天高くそびえるトンネルを形成する。地上では、タワーを通る過程で七色に分けられた熱帯地域特有の鋭い光が虹を作っている。赤道上に作られた軌道エレベータは真っ直ぐ上を向くが、オキナワ・エレベータは高緯度に位置しているため、二十五度ほど傾斜している。傾斜した壁面で光が乱反射し、天へと向かう光の回廊を形作る。

「おお……すげぇな、コレ。まさに宇宙まで続いてるって感じだな……」

リズがスケールの大きさに圧倒されたか、低い声でつぶやく。マサトは以前にも見たことがあるが、この光景には何度見ても心を動かされる。他の二人も同じように、上を見上げているようだ。

「でも、コレって実は、一見地味に見える黒い帯のほうが重要なんだよね。回りのキラキラしたタワーは自己主張しているようでいて、真ん中の芯の部分を守ってるだけなんだ。真ん中がしっかりしていて初めて、こんなに綺麗に輝けるんだと僕は思うよ」

フィリオが目を閉じてゆっくりと語る。タワーを通った光がフィリオの翼を虹色に染めている。フィリオの言葉に各々感じることがあるのか、一同は空へと続く光の道筋を見つめた。

「あーっ マサト君じゃない。おそかったねー」

間延びした声が四人の思考をさえぎるように聞こえ、茶と白の毛皮を持つイエネコ種の少女が現れた。その背後を同じ種の少女が追ってくる。こちらは白・茶・黒の三毛だ。

「ちょっと、ミズホ! 邪魔しちゃ悪いじゃない。ごめんなさいねぇ。なんかいい雰囲気っぽかったのに……」

どこかけんのある言い方をするこの少女は、マサト達と同じ専門課程に属する飛田琴音ヒダ コトネといい、瑞穂ミズホの姉に当たる。コトネは浪人しているため、マサト達よりも一歳年上だ。

「ああ、コトネさん、ミズホちゃん。久しぶり。最近ずっと実習だったから、暫く会ってなかったけど、元気してた?」

声を掛けられたマサトの代わりにフィリオが答える。マサトはどうもこの二人が苦手だ。

「うーん、私達は元気だったよぉ。フィリオ君たちはどうだったの?」

「僕はちょっとお疲れ気味かなぁ。色々とお荷物がいるからね」

フィリオが該当者に視線を向ける。視線を向けられたリズは首を傾げる。

「大変そうですねぇ。まあ、こっちはこっちで大変だけど」

コトネがミズホを見ながら同情する。

「お姉ちゃん、何でこっちを見るの?」

ミズホがニヤリと笑いながら言う。こちらは分かっていてワザとやっているようだ。

「まあ、ミズホのことは置いておくとして、あなた達のグループ、事前実習での評判は良かったみたいだけど、本番では私達も負けないから。覚悟しておいてね」

コトネはそう言うと、名残惜しそうにするミズホを引っ張って窓の傍にあるテーブルへ行ってしまった。

「あれって、僕らのライバルになるってこと?」

嵐のように去るコトネ達をポカンと見つめる四人の中で、サトルが最初に口火を切った。

「そう……みたいだな。あんなにはっきりライバル宣言するやつ初めてみた。じゃ、ライバルも無事決まったことだし、戻ろうか」

マサトは妙に感心した様子で答え、皆を階段へ促した。

搭乗口へ戻った四人はキャリアの入り口へと足を進める。オキナワ・エレベータには四本のケーブルが存在し、うち二本が通常運行で利用される。残りの二本はメンテナンス用と高速キャリア専用ケーブルである。通常運行のケーブルには各十基のキャリアが常時接続され、アースポートや静止軌道プラットフォーム、エレベータの端にあるペントハウス・ステーションですれ違う。そのキャリアの形はスペースシャトルを大きくしたような流線型で、約二百人の収容人数があり、長距離フェリーのように食堂や簡単なシャワーなど基本的な設備が揃えられている。静止軌道プラットフォームまでは約一日かかるためだ。

「うわー、大きいね。前乗ったのはこんなに大きくなかったような気がするけどなぁ」

キャリアを見上げ、首を傾げるフィリオにマサトが答える。

「前乗ったのは高速キャリアだからな。今回のはあれよりも三、四倍大きいはずだぜ。まあ、その分遅いけどな」

「コレって、確か、丸一日もかかるんだよな? 高速キャリアっていうのだとどれくらいなんだ?」

今度はリズが質問する。基本的な質問をする二人に対して、マサトは渋い顔を見せた。

「あのなぁ、お前らそれくらい予習しとけよ……オキナワ・エレベータの高速キャリアは半日で静止軌道まで行ける、世界で唯一の移動手段なんだよ。ニュースでも話題になっただろ。通常運行のキャリアも今までは三日もかかっていた時間を一日に短縮したんだぜ。たったの一日で高度三万六千キロメートルまでいけるなんて、凄いと思わないか?」

「確かにそうかも。やっぱりマサトは物知りだね」

「だろ? じゃあ、何でそんなに速く出来たか知ってるか?」

フィリオに褒められたマサトはさらに続けようとするが、リズが割って入る。

「そんなこと良いから、早く窓際の席取ろうぜ!」

「リズ君、僕達の席はもう決まってるから、そんなに急がなくても大丈夫だよ。三時間くらいはずっとその席に座ってないといけないんだから、嫌というほど外は見れるよ」

今にも走り出しそうなリズをサトルが制止した。リズに話の腰を折られたマサトはムスッとした表情で不機嫌そうに尻尾を揺らす。

「うわっ! 凄い! もうタワーがあんな下にある。ほら見てよ、マサト。あれって、九州じゃない? 僕達の学校も見えるかも」

横に座ったフィリオが窓の先を指差しながらはしゃぐ。マサトの背後ではリズが騒ぐ声も聞こえる。

アースポートを出発したキャリアはすぐに新幹線ほどのスピードまで加速する。軌道エレベータを守るタワーは一瞬にして過ぎ、急速に丸みを増す水平線が地球が丸いことを物語る。気がつけば、窓の外はすでに暗くなっており、太陽に照らされて青く輝く地球と吸い込まれそうな漆黒の闇の間をなめらかなグラディエーションが繋ぐ。ここが宇宙への入り口である。

「やっぱ、地球って青いんだな。なんかクリアすぎて、本物とは思えないよ」

「そうだね。僕達が住んでいるところがこんなに綺麗だったなんて、今まで感じた事なかったなあ。前乗ったときは、風景どころじゃなかったから……」

マサトとフィリオは以前にも軌道エレベータを使って宇宙に行った事がある。フィリオの父親の乗っていた宇宙機が発見されたときに一回だけ。

出発から約三時間。尻尾の付け根が痛くなってきたころ、フィリオは自分と地球の間を人工物が横切るのを見つけたようだ。

「あっ! あれって、宇宙ステーションかな?」

瞬く間に遠ざかる宇宙ステーションらしき物体を見てマサトはニヤリとする。

「フィル、もうすぐ面白いものが見られるぜ。このキャリアの下のほうを見ていろよ」

その直後、警告音と共にアナウンスが流れ、シートベルトの確認を促した。マサトの眼下では、キャリアの底から巨大なパネルが這い出してくる。地球を覆い隠すかのように展開されるパネルを見ていると、今まで続いていた擦るような音とかすかな振動が消えた。再度アナウンスが流れる。

〈本機はまもなく加速フェイズに入ります。加速時間は約十分です。シートベルトをしっかり締め、加速中は席を立たないようお願いいたします〉

フィリオは自分のシートベルトを確認しながらマサトに尋ねる。

「ねえ、あのでっかいのって、ソーラーパネル?」

「うーん、まだまだ勉強不足だな。あれはマイクロ波用のアンテナで、ポート・トゥモールとほむらから送られてくるマイクロ波を受け取るんだ。最初からアンテナを出しちゃうと、空気抵抗が大きくなるから問題だけど、今はもう大気圏を抜けてるから大丈夫。これでもう電気の心配はないから、リニアモータに切り替えて一気に加速するってワケ」

マサトの解説にフィリオは普段の授業では見せないくらい、熱心に耳を傾ける。

「ちなみに、リニアモータを使うのって、オキナワ・エレベータが初めてなんだぜ。今までのエレベータって、モノレールみたいにケーブルを直接掴んでキャリアを持ち上げてたんだけど、あまり速くなるとカーボンナノチューブが摩擦の熱で燃えちゃうから、時速五百キロくらいまでしかスピード出せなかったんだ。それがリニアモータを使うことで、時速二千キロまで加速できるんだぞ。前乗った高速キャリアだとなんと時速三千三百キロ。めちゃめちゃ速いだろ」

マサトは自慢げに知識を披露する。マサトはまさにフィリオの〝先生〟と言った様子である。

「じゃあ、なんで今までリニアモータって使われてなかったの?」

「単純にエレベータとキャリアが重くなるからだよ。今までは、その重さに耐えられるカーボンナノチューブが作れなかったんだ。それに、リニアモータにすると無駄になる電気も増えるからな。それを補うために、トゥモールには二基も核融合炉があるんだぜ」

「そうなんだぁ。勉強に関しては、マサトは頼りになるね」

フィリオがさらに質問を続けようとしたところで、シートベルト着用のサインが消える。

〈本機は加速フェイズを終了しました。現在、日本標準時で午後四時十三分。高度は海抜六百キロメートル地点を通過し、時速千九百三十キロで順調に上昇中です。ほむらへの到着は明日午前十時二十分を予定しております。それでは、快適な宇宙の旅をお過ごしください〉

「えっ! もう加速したの?」

「ああ。少しだけ体が重くなるの感じなかったか? まあ、飛行機とかと違って、ゆっくりとしか加速しないから、ほとんど分からなかったと思うけど」

「イメージでは、もっと派手だったんだけどなぁ」

腑に落ちない様子のフィリオをよそに、マサトはさっさとシートベルトを外し、立ち上がる。体はすでに軽くなっている。

「ほら、フィル。ちょっと遊びに行こうぜ! これを試して見たいんだ」

マサトが背中を向けて翼をヒラヒラと泳がせる。

「ちょっ、待ってよ! もう、こんなときだけ速いんだから」

「フィリオ君、あの二人に言ってもしょうがないよ……」

先行するリズを追って走るマサトの背後で、二人の声が聞こえた。

「うおっ、すげぇ! やっぱり飛べた!」

力の限り翼を羽ばたかせるマサトの体が少しだけ浮いた。

「飛んだっていっても、ほんの少しじゃん。ほら、俺のほうが高いぜ」

リズが対抗してジャンプする。その高さは二メートルに届くかという程だ。マサトはというと、すでに力尽きて地上へ落ち、ぜいぜいと肩で息をしている。

「はぁ、はぁ……こんなに、疲れるとは……もうちょっと、高度が高くならないと無理かな」

高度は海抜五千キロに達し、マサト達が感じる重力は三分の一程度になっているが、自由に飛ぶにはまだ早いようだ。リズのように普通にジャンプしたほうが高く跳べる。

「何だ、マサト。やっぱり情けないね。ついさっきまで、あんなに調子乗ってたのに」

そういうフィリオは翼を動かそうともしていない。

「さあ、サトル君。この人たちは放って置いて、ご飯食べにいこ」

「あっ、俺も行くよ」

置いて行かれたマサトは一人、翼の付け根をマッサージする。普段そんなに動かさない部分を急に酷使したためか、筋肉が痛い。それに、心も少し。

「ふぅ……食べた、食べた。ねえ、これからどうする?」

宇宙用香辛料を片手に、食事を終えたフィリオが皆に問いかける。ちなみに、フィリオ特製トウガラシの犠牲になったリズは汗をだらだらと垂らして、口にはずっと氷を含んでいる。遅刻のお仕置きということで、大量にトウガラシを飲まされたようだ。

「最後にもう一度これを試させてくれよ。今なら大丈夫なはずだからさ」

マサトは控えめに自分の背中を指差す。

「マサトも懲りないね。まあ、寝るまでには時間あるし、暇つぶしにはちょうど良いかも。サトル君はどうする?」

「うーん、そうだねぇ。僕は一応、リズ君を診とくよ」

サトルはハンカチでそっとリズの汗を拭く。

「サトルは優しいなあ。フィル、少しはお前も見習えよ」

「えっ、僕のは愛の鞭だよ。愛の鞭。マサトも欲しい?」

フィリオはいかにも自分が批判されるのは心外だという様子だ。

「いや。遠慮しとくよ。じゃあ、早くホール行こ」

「まっ、待て。俺も一緒に行く……」

リズが突然、顔を上げて息も絶え絶えに自分の希望を述べる。そんなリズの顔をサトルが心配そうに覗き込む。

「だっ、大丈夫なの、リズ君?」

「俺は……大丈夫だ。せっかくのチャンスなのに、無駄にできるかよ……」

遊びに対するリズの執念は並大抵ではない。

時刻は午後八時。すでに体に感じる重力は六分の一になっている。月面とほぼ同じ重力である。体が軽くなりすぎて、体が浮いてしまい、歩きにくい。そんな中、マサトは水を得た魚のようにホールを飛び回った。優雅とはいえないが、そこは元々運動神経の優れているマサト。初めてとは思えないほど上手に空中を舞う。

「ほら、フィル凄いだろ! 回ったりも出来るぜ」

マサトは尻尾を大きく動かし、空中で一回転する。リズはというと、地球上ではとてもまね出来ないアクロバティックな動きをして楽しんでいるようだ。

「よっと。フィルもやってみろよ。せっかくの翼なんだし、こんな時くらいは、使わないとな」

マサトが着地して、フィリオに薦める。実際、地上生活で翼が役に立つ機会は少ない。バランスをとったり、落下の衝撃を和らげることは出来るが、一G環境ではとても飛ぶことなど出来ない。

フィリオも恐る恐る翼を羽ばたかせ始める。えいっという掛け声と共に翼に力を入れたとき、フィリオの体がふわりと浮いた。

「僕、飛んでるの?」

「飛んでる、飛んでる! ほらな、飛べるだろ」

「うん。でも、結構疲れるね、これ」

フィリオがふらふらしながら、三メートルほど浮かんだ。人型の有翼種は重心の位置が翼の付け根より低いため、鳥類のように優雅に飛ぶことはなかなか出来ず、フィリオのように翼だけ動かした場合は、前屈みで浮かぶ感じになる。低重力環境では、空を飛びながら行う競技もあるが、そのときは肩に重りを乗せて重心を調整している。

「うわっ!」

危なっかしく飛んでいたフィリオが、唐突にバランスを崩して後ろにひっくり返り、地面に落下しそうになる。

「フィル、危ない!」

マサトが思わず地面を蹴って、フィリオの下に回り込んだ。地上では危機一髪の瞬間だが、見かけの重力が減ったこの環境ではそれほど危険は無い。マサトの腕がフィリオの体を捉え、柔らかい毛が触れた。フィリオは横から抱きかかえられた格好で、ちょうど〝お姫様抱っこ〟のようだ。

その光景を見ていたリズが二人を茶化す。

「おっ、こんなところで抱き合うなんて真昼間からお熱い二人だな」

「好きでこうなったんじゃねえよ! 俺はフィルを助けようとしただけだって」

マサトは必死に言い訳をしながらゆっくりと地上に着地した。

「ありがとう、マサト。でも、こんなに軽いんだから、別に大丈夫だったんじゃない?」

突然、マサトに抱きかかえられる格好となったフィリオだが、実に冷静である。マサトもその通りだと思う。しかし、フィリオに何かあったときのことを考えると、マサトは気が気でない。考えるよりも体が先に動いてしまった。

「で、マサト、もうそろそろ下ろしてくれる?」

「あっ、ごめん」

自分の腕の中にいるフィリオを見つめていたマサトは我に返り、慎重に親友を地面に下ろした。冷静なフィリオに対して、マサトの胸はまだ激しく脈打っている。

「なあマサト、二人で楽しんでるとこを邪魔して悪いんだけど、皆でウィンドボールってのやらない?」

ウィンドボールとは、無重力・低重力環境で行われる競技で、ハンドボールのように、ボールを手に持ち、相手のゴールに投げ入れて競うゲームである。ただし、ボールを持った状態で地面を離れてはいけないというルールがあり、ゴールの口がバスケットボールのように地面に対して垂直方向に開いているという特徴がある。無重力・低重力環境では滞空時間は長いが、空中では方向転換の手段が限られ、下手にボールを投げると反動で体がとんでもない方向を向いてしまう。動きも三次元的になるため、かなり頭を使う競技である。

「おおっ、いいな! やろう、やろう。フィルとサトルもやるだろ?」

普段は空気を読もうとしないリズが疎ましいが、先ほどの一件で妙な気分になってしまったマサトにとって、この提案はありがたい。

「いいよ。だって、最低四人はいないと遊べないでしょ。サトル君もやるよね?」

「うーん、僕はあんまりそういうの得意じゃないんだけど……」

「やってみたら、多分楽しいって。ほら!」

フィリオは参加を渋るサトルの背を、ウィンドボール用のコートの方へ押しやった。

マサト・フィリオチーム対リズ・サトルチームで対決することになったが、結果はマサト・フィリオチームの圧勝に終わった。翼のある二人が有利なのは当たり前だが、それ以上にリズが足を引っ張ったのが決定打となった。ウィンドボールでは、身体能力も大事だが、動きを予測して体を動かすことが重要である。

「くそっ! 納得いかねぇ!」

リズはやたらと元気よく動いたが、大半が無駄な動きであった。

「ふぅ、思ったより楽しかったあ。リズ君のあんな姿、地上だと滅多に見れないしね」

最初は乗り気でなかったサトルだが、地上の球技と違って、それほど体力を使わないため気に入ったようだ。無様に回転するリズを目の当たりにし、サトルは息が出来ないほど大爆笑していた。

「ふわぁ……いっぱい遊べたし、もうそろそろ寝ようよ」

眠たそうにあくびをするフィリオを見て、マサトもつられてあくびをする。今日は集合が朝早かったため、思ったより疲れたようだ。

「ふぅ。そうだな、明日の朝も早いし、さっさと寝るとするか」

マサトは帰るのを渋るリズを引っ張って、寝室へと向かう。いくら力の強いリズでも、空中に持ち上げてしまえば何も出来ない。時刻は夜十一時。体感できる重力は地上のわずか十分の一程度である。

寝室は二人一部屋で、ベッドは二段になっている。実習の部屋割りと同じで、マサト・フィリオコンビとリズ・サトルコンビに別れた。

「へぇ、ベッドって寝袋になってるんだね。なんか、しっくりこないなぁ」

「フィル、このスイッチを押すと、寝やすくなるぞ」

ベッドに潜り込んだ二人はコンタクトに表示される情報を元に、周囲にあるスイッチの類を色々と試す。マサトが押したのはベッドの形を体にあったものに変形させるスイッチである。重力がほとんどない環境では、水平に寝るよりも、少し体を丸めたほうがリラックスできる。ちょうど、水中で力を抜いたときの体勢だ。

「あれ、こっちのボタンは何? うわっ! なんか息苦しいっ」

「それは体に圧力をかけるスイッチだよ。あんまりフワフワしてると落ち着かないだろ。それに、フィルみたいに寝相が悪いと、飛び出しちゃうかも知れないし」

二人はその後も宇宙ならではの機能を堪能する。ほぼ全ての機能を試した後、二人はようやく電気を消した。

「おやすみ、マサト。明日は六時起きだからね」

「明日も早いな。じゃあ、おやすみな、フィル。ちゃんと起きろよ」

どうせ、自分が起こすことになるだろうと考えながら、マサトは目を閉じる。

次の日の朝、案の定、フィリオは寝坊しそうになり、リズは見事に寝坊した。

フィリオをたたき起こしたマサトは一足先に食堂へと向かう。窓からはすっかり丸くなった青い地球が見えた。マサトはポケットから銀色のプレートを取り出し、目の前へぽーんと放り投げる。くるくると回りながら、空中に浮かぶプレート。今まで長い間自分を守ってくれていた地球は遥か下である。プレートの表面には大きな傷が入り、読めるのは赤い字で書かれた〝CAUTION〟という文字のみ。以前、ほむらに行った時に父親から渡されたものだ。マサトの脳裏に浮かぶのはガランとして寂しげな操縦室と自分の腕にしがみついてしくしくと泣き続ける親友の姿。記憶の中の大きく裂け目が入ったディスプレイがフィリオの両親に何が起きたのかを物語っていた。

マサトはプレートをバシッとつかみ、壁を蹴る。悲しい記憶は無理して消す必要はない。それ以上の楽しい記憶で覆えば良いだけだ。マサトは翼を力の限り羽ばたかせ、前へと加速する。

「サトル君それにマサト、おはよー」

フィリオが眠そうな目をこすりながら、フラフラとマサト達が座る席へと近づく。

「へぇ、こうやって座るんだね。ところでサトル君、リズ君はどうしたの?」

リズが椅子に足を引っ掛けながら尋ねる。無重力環境での椅子の役目は〝座る〟ではなく、〝足を固定する〟である。

「ギリギリまで寝たいんだって。リズ君って朝だけは元気ないんだよね。リズ君の分は僕が持っていってあげるから」

前の実習でリズと一緒だったマサトはリズの寝起きの悪さをよく知っている。フィリオ以上に手がかかるリズにいつも手を焼いていたマサトは、嫌がりもせずに食事の配達までするサトルに感心した。

「サトルってホント偉いよなぁ。でも、あんまり奴を甘やかすなよ。すぐ調子乗るぜ。じゃあ、これでみんな集まったし、飯にするか」

マサトはサンドウィッチに手をかけた。屑が飛び散らないような加工はしてあるが、味は普通である。昔は無重力での食事といえば、チューブに詰められたものが一般的であった。しかし近年では、食品加工技術の進歩で地上とそれほど違わない食事ができるようになっている。

食事の後、四人は私物をまとめ、出発時と同じ席へ戻った。ただし、上下が逆さまになっている点が前回とは異なっている。まだ眠そうなリズをフィリオが無理やり席へ押し込んだところでアナウンスが流れる。

〈乗客の皆さん。長旅、お疲れ様でした。本機はまもなく、静止軌道ステーション〝ほむら〟に停止するため、減速フェイズに入ります。減速中はシートベルトを締め、手荷物はしっかり固定するようお願いいたします。ほむらへの到着は予定通り日本標準時午前十時二十分となります。到着後、ペントハウス・ステーション〝つるぎ〟へお越しのお客様は、着席したままお待ちくださいますよう、よろしくお願いいたします〉

キャリアは十分の一Gで約五分間減速し、完全に止まった。マサト達はコンタクトに表示される案内に従い、到着ゲートへ向かう。

「さっ、みんな。準備はいい?」

キャリアとほむらの境界を前に、フィリオがみんなと手を繋ぐ。

「じゃっ、行くぞ! せーのっ」

マサトの掛け声でタイミングを合わせて床を蹴る。重力が無いため、四人は手を繋いだまま空中を彷徨う事となった。

「あはは! やっぱり、無重力だとこうなっちゃうか。でも、宇宙へとうちゃく~」

無邪気にはしゃぐフィリオにつられ、残りの三人も一斉に笑い声を上げた。ここは高度約三万六千キロの静止軌道。地球の重力から切り離された宇宙の真っ只中である。

中編へつづく

登場人物 =とじる=

空木雅人(ウツギ マサト)

スカイ・ドラゴンの♂16歳。運動神経が良く、成績優秀な優等生。翼で空が飛べて大満足な様子。機械マニアな面も見せる。

フィリオ=ユーレ

エア・ドラゴンの♂16歳。苦労が絶えない、マサト達のリーダ役。ただ、そのお仕置きはなかなか激しいらしい。軌道エレベータに乗るのは二回目でなにやら思うことがあるらしい。

リズ=オルシーニ

ラビットの♂16歳。相変わらず目つきが悪い先生。登場しないときは淡々と業務をこなしている。

結城悟(ユウキ サトル)

ラビットの♂16歳。今時珍しい眼鏡っ子。いつでも心優しく、厄介者のリズにも親切。機械に関してはマサトと話が合うらしい。

宿森隼人(シュクモリ ハヤト)

ホワイトウルフの♂28歳。ほむらの現役環境システムエンジニア。普段は物静かだが、仕事のこととなると熱くなる。学生から怖いと思われていることを気にしている。

飛田琴音(ヒダ コトネ)

イエネコの♀17歳。マサト達と同じ課程に属するグループリーダの1人。フィリオを勝手にライバル視している様子!?1浪しており、1歳年上。妹には色々と苦労させられているようだ。

飛田瑞穂(ヒダ ミズホ)

イエネコの♀16歳。コトネの妹。姉と違って、かなりルーズな性格。姉を弄るのが好き。