世界が飛翔する刻

第一章 天空への軌道(ガイド)―後編―

2010/3/1

演習を無事終えた翌日、マサトの横ではフィリオが満足げに惰眠を貪っていた。リズとサトルはそんな二人に気を使い、片付けを引き受けてくれる。ブランチのあと倉庫に片付けに行ったマサトとフィリオだったが、突如降りてきた隔壁に閉じ込められてしまう。どうやら気密漏れが発生したらしい。その上頼みのPDAも何故か動かず、倉庫には爆発の危険がある物質が保管されているようだ……。二人は果たして無事に脱出できるのか?

~2069年11月~

床にフィリオが転がっていた。添い寝しているのは、フィリオの体を包んでいたはずの、布団と毛布である。

「ううーん……むにゃむにゃ」

フィリオの口から、お決まりの寝言が出る。ふさふさの尻尾を抱いて、気持ちよさそうだ。そのフィリオを、にやけた顔で覗く人影が一人。

「フィルはやっぱりまだお休みかな。演習の片付けはサトルたちに頼むかぁ」

演習の翌日は休みであるが、片付けは各グループで行わないといけない。集合時間は確か、もうそろそろだったはずだ。

――ドン! ドン! ドン!

マサトがサトルにコールしようかどうか迷っていると、玄関のドアが強く叩かれる。朝っぱらから騒がしいこの行動。該当者は一人しかいない。マサトは慌てて玄関へと向かう。

「おい、リズ! 静かにしてくれよ! フィルがまだ寝てんだよ」

ドアを開けると、拳を振り上げたリズと目が合った。まだ叩こうとしていたらしい。

「おっ、やっと出てきたな。マサトが遅れるなんて珍しいじゃん」

「ごめん、マサト君。止めようとしたんだけど……」

全く悪びれない様子のリズに代わり、サトルが申し訳なさそうな顔をしている。

「いや、まあ、サトルが謝ることないよ。で、片付けのことだよな?」

マサトは外に出て、音を立てないようにそっとドアを閉じた。そのまま、両手を合わせてリズ達に頼み込む。

「あの……ちょっとお願いがあってさ。出来れば、片付け先にやっといてもらいたいんだけど……」

マサトの申し出に、リズは少し嫌そうな顔をする。続けてリズが何か言おうとしたが、サトルが制した。サトルはマサトの肩にそっと手を掛ける。

「フィリオ君をもう少し寝さしてあげたいんでしょ? 優しいんだね、マサト君って」

リズがそのやり取りを見て、にやりとした。マサトの言葉の意味に気付いたようである。マサトを早速冷やかし始める。

「なんだマサト。つまり、寝てるフィリオにもうちょっと悪戯したいってことだよな? ああ、いいぞ。そういうことなら。でも、あんまりやり過ぎるなよ。フィリオに嫌われちゃうぞ」

ニヤニヤとした表情でマサトを見るリズ。

「リッ、リズ! お前ってやつは!」

マサトは真っ赤になって掴みかかろうとする。リズに避けられてしまったが、辛うじて尻尾で一撃。

「痛いなー。そんなに怒るなよ。片付けは俺とサトルが先にやっといたげるからさ」

「……まあ、それなら有難いけど。家まで持ってきてくれたら、倉庫までは俺とフィリオで運ぶよ」

マサトは何とか怒りを抑える。こちらがお願いしている立場なのだ。サトルが心配そうに言った。

「いいの? マサト君。倉庫までって、結構大変だと思うけど……」

倉庫はかなり端のほうにあるため、少し距離がある。それに、人工重力区画にあるため、運ぶには少し骨が折れる。

「それくらいは、頑張るよ。ごめんな、サトル。いきなり頼んじゃって」

マサトは軽くサトルと握手を交わす。リズにふと目をやると、サトルを置いてすでに階段を降り始めている。

「マサトー、後はゆっくり楽しめよ! じゃあな!」

「あっ、リズ君! じゃあ、近くまできたら連絡するね。フィリオ君にもよろしく」

直ぐに姿を消すリズ。サトルがぺこりとお辞儀をして、リズの後を追う。友達同士だというのに、サトルは律儀である。去る二人の後ろ姿を見ながらマサトは思った。

(やっぱり、俺がフィルを意識してるのって、まる分かりだよなぁ)

おそらく、フィリオ本人にも当の昔に気付かれているだろう。

マサトはキッチンで冷蔵庫の中身とにらめっこをしていた。

「やっぱり、ブランチになるよな。フィルが起きるまでもうちょっとかかりそうだし」

悩んだ挙句、マサトは鶏肉を取り出す。ほむらでは人工栽培が行われているため、野菜に関しては、比較的低価格で手に入る。しかし、家畜となると、鶏肉が中心で、豚肉や牛肉は少し高価だ。

マサトはエプロンをつけて調理に取り掛かる。醤油と酒、みりんにしょうがを加え、鶏肉を漬け込む。辛いものが好きなフィリオのために鷹の爪も多めに加えた。もちろん、自分のものとは別けてある。鶏肉に味が行渡るのを待つ間、ほうれん草をゆがいて胡麻和えを作っておく。こちらはマサト好みの甘めの味付けである。

マサトが食器を並べているとき、キッチンのドアが勢いよく開けられる。

「マサト! なんで起こしてくれなかったの! もうこんな時間じゃない!」

時計を指差しながらそう言う親友の髪の毛は、あらぬ方向を向いていた。毛が長いため、きちんとケアしておかないと、寝癖が酷い事になるのだ。

「ぷっ、フィル、髪型すごいことになってるぞ。片付けは先にサトルとリズがやるらしいから、俺達は午後からで大丈夫だって。飯にするから、先にシャワー浴びてこいよ」

フィリオは自分の頭に手を当てて、状況を確認している。

「へっ、そんな予定だっけ? てっきり、時間に遅れちゃったのかと思ったよ。マサトは呑気にご飯作ってるし」

照れたとき、いつもやるように右の翼をひらひらとさせる。

「そのエプロン、すっごく似合ってるよ!」

そういい残して、キッチンを出るフィリオ。マサトは自分の姿を見下ろした。エプロンには、小さな花がデザインされている。

(このエプロン、フィルのために買ったんだけどなぁ)

あまり自分好みでないエプロン姿が似合っていると言われても、素直には喜べない。マサトは複雑な気持ちでフライパンを暖め始めた。

鶏肉の皮にしっかりと焼き色を付け、蒸し焼きにする。マサトがフライパンの前で火が通るのを待っていると、背後で扉が開く音がした。

「うーん、いい匂いだね! 何作ってるの?」

マサトが振り返ると、そこにはタオルを巻いただけのフィリオの姿。タオルが短いので、今にも見えそうだ。毛もちゃんと乾かしてないのか、しっとりと濡れている。マサトは目を逸らした。

「照り焼きチキンだよ! そっ、そんなことはいいから、ちゃんと服着てこいよ!」

「えーっ、だって、乾かすの面倒だし……」

「風邪引いたら大変だろ! せめて、下着くらいちゃんと穿けよ」

フィリオがうーっと唸って体を乾かしに戻った。そんな親友の背中を見てマサトは一人ごちた。

「全く、こっちのことも考えてくれよな。あっ、ヤバイ! 焦げる!」

急いで鶏肉を救い出す。何とか間に合ったようである。マサトは余分な脂を捨て、取っておいたタレを絡めて照りを出す。少し火が入りすぎたが、いい出来栄えだ。皿にレタス敷き、その上に盛り付ける。フィリオ用のチキンにはたっぷり鷹の爪を乗せておいた。これだけあれば、辛党のフィリオも満足だろう。

テーブルの上に昼食のメニューを全て配置し終えたところで、フィリオの声。

「マサト、これでいいでしょ」

フィリオが下着姿で現れる。まだ少し気にはなるが、先ほどの姿より大分マシである。食卓をみたフィリオが感心の声を上げた。

「うわー、凄いね。美味しそう!」

「ほら、その卵にはこのタレを掛けるといいぞ」

フィリオが器に卵を割る。きれいな温泉卵だ。朝、直ぐに食べれるようにとマサトが昨日作っておいたものである。タレは醤油、酒、みりんにダシ汁を加え、ひと煮立ちさせた簡単なものだが、温泉卵にはよく合う。

早速、肉汁が滴るチキンを口に入れるフィリオ。

「これ、すごく美味しい! マサト、料理の天才だね!」

「そうか?」

マサトの口に、思わず笑みがこぼれる。温泉卵に手をつけながら、フィリオが問う。

「うん。これもイケルねぇ。そういや、マサト。太陽フレアが発生したとかって言うニュース見た?」

「ん? 一応、知ってるけど、それがどうかしたのか? フィルがそういうことに興味持つって、珍しいな」

意外そうな顔をするマサト。フィリオは持っていた箸を振り上げて抗議した。

「全く、マサトは失礼なんだから。僕だって、宇宙機工学の学生なんだから、興味持つのは当たり前でしょ!」

そのフィリオをマサトは疑いの目で見つめる。

「じゃあ、太陽フレアが起こると、どうなるか知ってるのか?」

「えっ、それは……そう! コンピュータが色々と大変なんだよ」

フィリオは眉間に皺を寄せて言葉を搾り出した。

「色々って何なんだよ……。やっぱり、よく分かってないじゃん。この前、講義受けただろ。確かに、そんなに間違っては無いけどさぁ」

ワザとらしくはあっとため息を吐くマサト。

「太陽フレアが起こると、コンピュータやセンサが誤作動起こすことがあるんだ。下手すると壊れちゃうこともある。それに、放射線が増えるってことだから、俺達の体にも影響あるんだぞ」

フィリオがテーブルの下で、尻尾を乱暴に振っている。どうやら、ご機嫌斜めらしい。

「そんな細かいことはいいんだよ、マサト。で、その太陽フレアなんだけどさ、今回のって、大きいのかな?」

マサトとしてはもっと喋りたいのだが、フィリオを怒らせるのはまずい。これ以上の講義は止めておこう。

「まあ、そこまでちゃんとニュース見てないけど……。でも、それがどうかしたのか?」

「うん。僕達って、今宇宙空間にいるでしょ? だから、ちょっと心配になってさ。ほら、バク君とかも大丈夫なのかなって思って……」

歯切れの悪い言い方をするフィリオ。マサトの視線をかわすように温泉卵を啜っている。結局のところ、マサトに聞きたかっただけらしい。フィリオの話を途中で遮ったのが悪かったようだ。

マサトは笑いを必死にこらえながら答える。

「そうだなぁ、軌道エレベータのキャリアが一時ストップしたり、船外活動が中止されたりはするだろうな。コンピュータは大体対策されてるとおもうぜ。ほら、前に買ったPDAもエラー訂正機能が付いてただろ?」

フィリオがうんうんと頷く。

「ほむらのコンピュータはあれよりもっと凄い対策が施されてるはずだぞ。まあ、それでも防げないエラーもあるだろうから、不要なコンピュータは止められてるだろうし。バクの本体はハイブリッド・コンピュータらしいから、そんなに影響ないと思うけどな」

「へぇー、そっか。じゃあ、そんなに気にしなくていいのかな?」

マサトは腕を組んで答えた。

「まあ、太陽フレアってそんなに珍しくも無いから、大丈夫だと思うぞ。宿森先生やリョウコさんが忙しそうにしてるってことは、いろいろ対策が行われてるってことだろうし」

ほむらはまだ地球の磁気圏内にあるため、太陽フレアの影響は比較的小さい。これが、軌道エレベータの先端、ペントハウスステーションつるぎとなると、完全に磁気圏の外になるため、より厳重な対策が必要となる。

マサトはほうれん草のおひたしをつまむ。しっかりと甘みがついており、美味い。我ながら上出来である。フィリオには少し甘すぎたようだが。

「そういえば、太陽フレアの大きさって、もう予想されてたよな」

PDAを取り出し、ほむらの公式サイトに接続する。

そこには、ここ数日間のX線の変化量がグラフになって公開されていた。太陽フレアが発生すると、X線・ガンマ線などの高エネルギーを持つ電磁波と、電子・イオン・中性子などの加速粒子が放出される。このうち、影響が大きいのは後者の加速粒子である。電磁波が光速で伝わるのに対して、これらの粒子は比較的遅い。加速粒子は電磁波から数日遅れて地球に降り注ぐことになる。つまり、X線を観察することで、太陽フレアがどの程度障害を与えそうかが予測出来るのだ。今回の場合、X線の強度が今までと比べて極端に大きくなっているということは無さそうである。

「まあ、普通そうだな」

「うん、だね。まだ分からないことも沢山あるから、今度ちゃんと教えてよ、マサト」

マサトはチキンに手をつけながら、頷いた。フィリオには大丈夫と言ったが、内心、少しは不安もある。知識としては知っていても、太陽フレアを宇宙空間で体験するのはマサトだって初めてなのだ。近いうちに、ハヤトかバクにもっと詳しいことを教えてもらおうと思うマサトであった。

食事を済ませた後、リズ達から連絡があるまで、リビングでゲームをして過ごしていた。

「もう! また負けた! ちょっとは手加減してよ、マサト!」

フィリオが尻尾でマサトを叩く。結構痛い。

「これでも十分手加減してるつもりだぞ。フィルが弱すぎるんだよ」

ゲームで対戦すると、たいていの場合マサトの圧勝に終わる。フィリオはこっそり練習していたらしく、マサトにあっさり負けたのが気に食わないらしい。そっぽを向いてごそごそと他のゲームを探し始める。マサトは少しふてくされたフィリオの横顔が気に入っていて、その可愛い顔を見るために割と本気を出していたりする。

マサトがフィリオとの楽しい時間を満喫していると、リズからメッセージが届いた。演習場での片付けが終わり、人工重力区画に到着したらしい。名残惜しいが、これ以上迷惑を掛けるわけにもいかない。

「フィル、リズたちがステーションに到着したみたいだ。そろそろ俺達も出るか?」

ゲームに飽きて、ごろごろと寝転がりながら漫画を読んでいたフィリオがマサトを見る。いかにも面倒だという顔だ。

「うーん、せっかく良いところだったのに。そうだマサト、一人で行って来てよ」

「……俺一人だと運べないだろ。そんな事言ってると、晩飯作らないぞ!」

フィリオはだるそうに立ち上がり、漫画を本棚に置いた。並べる順番は特に気にしないようで、本当にただ置いているだけだ。後で整理しようとマサトは思った。

「もう、冗談だってば。ちゃんと行くよ」

リンク・ステーションに到着すると、リズとサトルが大きな箱を荷台に載せて待っていた。思ったより大きい。

「よう、マサト。ゆっくり楽しめたか?」

リズがまたニヤニヤとマサトを見てくる。マサトは手を横に振って答えた。

「しつこいぞ、リズ! まあ、ここまで運んでくれたのには感謝するけど」

二人のやり取りを見たフィリオが、首を傾げてサトルに何か聞いている。サトルなら何とか誤魔化してくれるだろう。

「それにしても、結構でかいな。こんなのチューブに乗るのか?」

マサトが箱を軽く押しながらリズに尋ねた。かなり重く、一人で持つのは無理そうだ。

「ああ、一応、貨物用の車両があったぜ。数が少ないから、待たされるけどな」

「ふーん、そうなのか」

「じゃあ、後は任せたぞ。演習のおかげで全然自由時間無かったから、早くほむらの中、探検したいんだ」

リズはフィリオと話し込んでいるサトルの肩をぽんと叩く。

「サトル。一緒にほむらの中回らないか?」

「えっ、うん。良いよ。じゃあ、フィリオ君そういうことだから、後はお願いね」

リズに急かされたサトルがフィリオとの話を切り上げ、町へと歩き始めた。マサトは手を振って二人を見送る。

「さて、フィル。そろそろ運ぶか。コレ」

「そうだね。こんなに大きいのはちょっと予想外だけど」

箱をぽんぽんと叩くフィリオ。箱はフィリオの腰くらいまである。サイズの割には軽いが、二人でようやく抱えられる大きさである。

マサトはステーション備え付けのタッチパネルを操作し、倉庫へ行くための貨物車両を呼び出す。到着までに十分少々掛かるようだ。

「ねえ、マサト」

フィリオがマサトの翼を掴み、くいくいと引っ張った。

「ん? なんだ?」

「サトル君から朝の事聞いたよ。僕のために頼んでくれたんでしょ?」

どうやら、サトルが正直に話してしまったらしい。

「まあ、な。フィルが気持ちよさそうに寝てたから、なんだか起こしにくくてな」

「ありがとね。ご飯も美味しかったし」

「……どういたしまして」

マサトは小声で返事をする。語尾は今にも消え入りそうである。フィルが箱の上に飛び乗り、足をぶらぶらさせた。

「やっぱり遅いね」

さらに待つこと数分、貨物用車両がステーションに滑り込んでくる。普通の車両より若干長く、座るための椅子は二つしかない。これなら荷台ごと乗せる事が出来そうだ。

「さっ、マサト。運ぶよ。そっち持って」

「分かった。手挟むなよ」

マサト達は荷台を少し持ち上げ、車両に積み込む。思ったよりぎりぎりだ。

「マサト、乗れる?」

「たぶん」

そうは言ったものの、乗るのはかなり大変である。車両にはドアが一つしかなく、席に座るには荷物を乗り越える必要がある。箱と車両の間に体を押し込み、何とか奥に行こうとする。

――ゴッ!

「痛っ!」

天井に思いっきり角をぶつけてしまった。付け根の辺りがじーんと痛む。さらに進もうとするが、今度は翼が邪魔をする。我ながら、邪魔な体である。何度か試行錯誤して、ようやく乗り込む事が出来た。

「ふぅ、ようやく乗れたぁ」

「マサト、大丈夫? ちょっと赤くなってるよ」

フィリオが髪の毛を掻き分けて角の付け根を見る。フィリオの指が触れると、ピリッとした痛みが走る。軽く内出血していそうだ。

「どう? マサト?」

「触るとちょっと痛いかも」

「後で冷やしておいたほうがよさそうだね」

後ろを振り返ってみると、天井にはかなり大きな傷が出来ている。かなり勢い良くぶつけてしまったようだ。

「これ、降りるのも大変そうだなぁ」

ぼやくマサトを尻目に、車両は倉庫へ向かって走り始めた。

倉庫まではリンク・チューブで約三十分。危険物なども保管されているため、生活区画からは離しているようだ。

マサト達は再び苦労して車両から出て、荷物を降ろした。

「ふぅ、ようやくついたな」

マサトは腰を伸ばして倉庫を眺める。飾り気のないコンクリートの打ちっ放しで出来た建物が立ち並ぶ。何処を見ても同じように見えるため、地図無しでは直ぐに迷ってしまうだろう。右奥に見える倉庫は企業のものなのだろうか。頻繁に車が出入りしている。それとは対照的に、マサト達が目指す正面の演習道具保管用の倉庫には、人気が全く無い。

「意外と低いんだね。倉庫」

フィリオが倉庫を見上げた。倉庫の背は低く、二階建ての民家くらいの高さしかない。

「でも、凄く深いみたいだぞ。多分、ほむらの外壁まで続いてるんだろな」

マサトが指差した案内板には地下八階の文字。所々〝エアロック〟と書かれた区画も目に付く。真空との境界線だ。

マサト達はゆっくりと荷台を押して倉庫の入り口へと向かう。カメラがマサト達の顔を認識し、ゲートを開いた。完全に無人で管理されているようだ。

倉庫内は照明が落とされており、かなり暗い。コンクリートに囲まれた一本道がずっと続き、通路の両側には扉が並ぶ。ぶーんという機械音の他には何も聞こえない。マサト達の足音だけが反響する。

「なんだか不気味だな」

マサトがぶるっと体を震わせ、翼をぎゅっと体に引き付ける。

「もしかしてマサト、怖いの?」

フィリオが悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。実際のところ、マサトは怖い話が大嫌いである。子供のころに行った肝試しでは、いつもフィリオにしがみ付いて泣いていた。当然、フィリオもその事を知っているはずだ。

「いや、別に怖くないけど……。ちょっと寒いかな」

マサトは無駄だとは思いつつも、一応、強がってみる。

「ふーん。じゃあ、この話をしても大丈夫だよね」

フィリオが声のトーンを落とす。やはり、マサトを脅かす気だ。

「あのね、これはカイ君から聞いた話なんだけどね」

マサトがごくりと唾を飲み込む。

「入るところにあった案内板に一つだけ赤いバツ印が付けられていたの、覚えてる? あそこはね、立ち入り禁止になってるんだ。スペースが貴重なほむらなのに、立ち入り禁止ってなんだかへんだよね?」

「フィ、フィル! 集中しないと危ないだろ!」

震える声でマサトは抗議する。

「色々調べてみるとね、どうもあそこで事故があったらしいんだ。そう、いまの僕達みたいに、演習の片付けをしてる最中にね」

フィリオはマサトを無視して先を続ける。

「その事故はほんとに悲惨な事故だったんだよ。片付けをしていたのは、一人の学生でね、真面目な人だったんだ。その人はたった一人で倉庫へ向かったんだ。そこで荷物を整理していたときにね、不幸にも演習用の火薬が爆発しちゃったんだ。爆発自体はたいしたこと無かったんだけど、その衝撃で破片が飛んで、壁に穴が空いちゃったんだ。それを感知したコンピュータがどうしたか分かるよね? そう、隔壁を閉じちゃったんだ」

マサトが恐る恐る反論する。フィリオの話が作り話だという事は、分かっている。しかし、作り話だからといって、怖くなくなる訳ではない。

「フィル、気密漏れしても、生命反応があれば隔壁は閉じないはずだろ。それに、火薬だって……」

「マサト、これは聞いた話だっていってるでしょ? ちょっとは間違いもあると思うよ。詳しい事はわからないけど、その人は倉庫に一人ぼっちで閉じ込められちゃったんだ。一生懸命穴を塞ごうとしたけど、空気はゆっくり抜けていく。友達に連絡を取ろうとしても、倉庫内からは繋がらなかったんだ。次の日に友達が気がついて捜索が行われたんだけど、もう既に遅かったんだ……。苦しみながら死んでいったみたいだよ。隔壁を手で開けようとしたのか、血の手形がべったりとついていたんだって。必死に引っ掻いたものだから、爪が全部剥がれちゃったんだろうね。あと、叫びすぎて、喉の血管も切れてたらしいよ。噂では、ずっと仲の良かった友達の名前を呼んでたんだとか」

「なあフィル、もういいだろ? もう直ぐでエレベータだし……」

マサトは前を歩くフィリオに本気で懇願し始める。なんだか寒気を感じる。足も重い。まるで、水の中を進んでいるようだ。何かがおかしい。

「この話には続きがあってね、この事故があって以降、倉庫のナビに異状が発生するみたいなんだ。他のところに行こうとしても、いつの間にか事故があった部屋に誘導されちゃうの。そして、その部屋の前に行くと、中から人の声がするんだ」

「フィル! もうやめろって!」

そのとき突然、マサトを強烈な吐き気とめまいが襲った。頭が割れるように痛い。視点をあわせることが出来ず、景色が二重に見える。意識が何者かに強引に引き剥がされているかのようだ。

「ドンドンドン! 助けてくれ! ってね」

フィリオが大声を出し、マサトの方へ振り返る。フィリオの表情が一瞬にして凍りつく。フィリオの目に映るのは頭を抱えて倒れこむマサトの姿。

「マサト! どうしたの!」

フィリオがマサトに駆け寄り、恐る恐るマサトの頬へ触れる。そのマサトは目をぎゅっとつぶり、激しい頭痛に耐えているようだ。呼吸も苦しそうで、不規則だ。

「ねえ、マサト、大丈夫!? そんなに怖かったの? あの話、全部嘘だよ?」

どうして良いか分からず、ただおろおろするフィリオ。常に冷静なフィリオにしては珍しく、完全にパニック状態である。少しは落ち着いてきた様子のマサトだが、まだ息をするのが苦しそうだ。

「ああっ、マサトごめん! 怖い話なんかしてごめん! 謝るから、しっかりしてよ!」

フィリオは目に涙を浮かべながら、マサトの額を撫でる。

「ぐぅ、頭が……痛い……」

マサトが目を薄く開ける。

「あっ! マサト! 大丈夫? 誰か呼んだ方がいい?」

マサトは頭がふっと軽くなるのを感じた。いままで襲っていた頭痛が嘘のように消え去る。しかし、意識の奥底には、まだ嫌な感触が残っている。まるで黒く蠢くヘドロの様にこびり付いて取れない。

マサトは上半身を起こし、ぱんぱんと頬を叩いて意識をはっきりさせる。

「いや、もう大丈夫だ。心配かけてごめん」

「ほんとに大丈夫? 戻った方が良いんじゃない?」

フィリオが涙目で見つめてくる。フィリオにこれ以上、不安を感じさせる事はできない。

「ホントに大丈夫だよ、フィル」

マサトは決して体が弱いタイプではないが、いままでに数回、今回のような発作を起こした事がある。考えてみると、発作に襲われた後はいつも良くないことが起こる。確か、一番酷かったのは、フィリオの両親が事故に見舞われた時……。

マサトは不安を振り払うように頭を振る。

「ほら、もう動いても平気だし。ちょっと貧血気味になっただけだよ」

尻尾を支えにして、ぴょんと飛び起きた。フィリオは手を握り締め、マサトを見上げている。まだ、心配なのだろうか?

「さあ、フィル。運ぼうぜ」

フィリオの手を取って立ち上がらせる。結構な汗をかいたのか、その手を覆う毛がしっとりと濡れていた。

「うん。もし気分悪くなったらすぐ言ってよ、マサト」

「ああ、分かってるって」

エレベータで地下八階まで降りた。ほむらの最下層。床の向こうは真空である。規則正しく扉が並んでいた一階とはかなり様相が異なっている。壁はコンクリートから金属に変わり、天井がかなり高い。階段や通路が迷路のように入り組んでいる。配管が縦横無尽に広がっており、かなり混沌とした印象だ。

「これは地図が無いと分かんないね」

フィリオがPDAを取り出して目的地を探す。コンタクトに表示される案内を見る限り、目的地は直ぐそこらしい。

「マサト、ここ出っ張ってるから気を付けてね」

フィリオが突き出したボルトを指差す。先ほどの一件以来、色々と気を使ってくれているようだ。

細い通路を曲がったところで、目標の部屋が見えた。荷台を慎重に部屋の中に入れ、力を合わせて大きな箱を下ろす。

「ふぅ、ようやく終わったね」

背伸びをして、腰を伸ばすフィリオ。

「そうだな」

なかなか嫌な感じが去らない。早くここから出ないと。マサトの意識の奥底で何かがそう急かしている。その時、

――パン!

乾いた音がした。まるで、映画で見る拳銃を撃ったときのような音だ……

マサトの背中をぞわぞわとした悪寒が走る。マサトはフィリオの手を取り、急いで部屋を出ようとする。と同時に、耳をつんざくアラーム音が鳴り響いた。人の恐怖を無理矢理引きずり出す甲高い音。マサトは思わず耳を塞いでしゃがみこむ。

――カシャン

金属と金属が触れ合う音が控えめに聞こえ、アラームが鳴り止んだ。周囲は再び静まり返る。

フィリオが恐る恐る声を発する。姿が見えない魔物を起こすのを怖がるように。

「何だったの……かな?」

マサトは声を出そうとするが、思ったように口が動かない。心臓がどくどくと激しく脈打ち、上手く息が吸えない。助けを求めるようにフィリオの手をぎゅっと掴む。

「大丈夫? ほら、ゆっくりと息を吸って。僕みたいに」

フィリオが優しくマサトを抱きしめ、背中を擦る。ゆっくりと深呼吸するフィリオのリズムに合わせ、数回息を吸う。

数分後、ようやく落ち着いてきた。マサトはフィリオの肩を掴み、もう大丈夫だと伝えるように何度か頷く。

「どう、マサト? 平気?」

フィリオが背中を擦るのを止め、マサトの顔を覗き込む。

「ああ。まだちょっとドキドキするけど、大丈夫だ」

マサトはフィリオの肩を借り、よろよろと立ち上がる。手を膝について一、二度深呼吸をし、自分に言い聞かせるようにつぶやく。

「うん。もう大丈夫」

「マサト、あんまり無理しないでよ」

フィリオがマサトの手を取る。マサトはこくりを頷いて答えた。

「何か、あったのかな?」

「フィル。俺、なんだか嫌な予感がする。早く戻ろう」

二人は顔を見合わせて一緒に首を縦に振る。

ゆっくりと荷台を押し、エレベータへと向かう二人を鋼鉄の壁が出迎えた。

「これって隔壁……だよね? 何で隔壁が降りてるの?」

フィリオが呆然と赤い二重線が引かれた鉄の障壁を見上げる。マサトは隔壁に手を触れてみた。冷たい。

「……分からない。人がまだ居るんだから、先に警告されるはずなのに……」

一般的な危機管理システムでは、内部に人が残っている場合、全員が脱出するまで隔壁は閉じないようになっている。ただし、即座に閉鎖しないと致命傷になる場合を除いて。

「僕達、閉じ込められたのかな?」

「いや、もしこっちに気密漏れがあるんだったら、俺達はもう死んでるよ。警告無しで隔壁が閉じたんだからな。多分、向こう側に問題が起こったんだ」

マサトは自分の口から出た〝死〟という言葉に驚く。そう、ここは真空の直ぐ傍なのだ。一歩間違えば、命を失ってもおかしくない。

「フィル、他にも出口があるだろ?」

フィリオがPDAを取り出す。タッチパネルを操作しているが、どうも様子がおかしい。

「どうした? フィル?」

「いや、なんかおかしいの。コンタクトに何も表示されないんだ」

そういえば、いつの間にか、自分のコンタクトの表示も消えている。

「あれ? おかしいな。俺の方も何も表示されてない。フィル、ちょっと貸してみて」

差し出されたPDAをマサトが受け取る。PDAを再起動してみるが、症状は変わらない。画像の出力先を、PDA本体に備えつけられた、動作確認用の小さなディスプレイに変更する。そして再起動。うんともすんとも言わない。

マサトはPDAの排気口に鼻を近づけてみた。少し焦げ臭い。

「どう? マサト?」

「駄目だ。壊れたのかも」

マサトは疑問に思いながら、自分のPDAを取り出す。同じように排気口を嗅いで見た。電子機器に特有の、化学物質の匂いしかしない。再起動を試す。コンタクトに何時もの表示が現れる。外付けメモリにエラーが発生しているようだが、他の動作には影響が無い。

「今回のことに関係有るのかな?」

フィリオが不安そうにマサトに尋ねる。

「……分かんない」

マサトはそう言いながら、倉庫の地図を呼び出そうとする。コンタクトには通信エラーの文字。

「あれ? おかしいな。ネットワークに繋がらない……」

本当に、おかしな事ばかりだ。マサトの尻尾をフィリオがくいくいと引っ張る。

「ねえ、マサト。あそこに地図があるみたいだよ。出口、描いてるかも」

二人一緒に地図に近づく。外に繋がる出口はあと四つあるようだ。

「とりあえず、他の出口に行ってみよう」

フィリオの手をしっかりと握って、マサトが歩き出す。動いていないと、不安に押しつぶされそうだ。

マサト達は無言で一つ目の出口へ向かった。出会ったのは先ほどと同じ隔壁。

「そんな……」

マサトの口から落胆の声が漏れる。応急処置が間に合わないほどの致命的な気密漏れが、二箇所同時に起こるなど考えにくい。マサトは行く手を阻む隔壁をじっと見つめる。

「マサト」

フィリオの声にはっとする。二人は気を取り直して、残りの出口へと向かう。

二つ目……隔壁閉鎖。三つ目……同じ。そして、最後の一つ。

「なん……で?」

鋼鉄の壁を見て、マサト達は崩れ落ちた。フィリオの話がマサトの頭をよぎる。友達を求める事故の犠牲者。

(馬鹿な! あれはただの創り話だろ!)

自分の腕を見ると、今にも泣き出しそうな顔でフィリオがしがみ付き、小さく震えているのが目に入る。必死で押さえていた恐怖が噴出し、マサトも一緒に泣きだしそうになる。

(駄目だ! 俺がしっかりしないと!)

ゆっくりと立ち上がるマサト。フィリオが見上げて問う。

「マサト?」

「ちょっと、調べてみる」

隔壁の周囲を当ても無く探りながら、考えをまとめる。

五箇所の出口が閉鎖されている。この状況で考えられるのは二つ。まず、本当に全ての隔壁の向こう側が真空に侵食されている可能性。この場合、マサト達は真空に取り囲まれていることになる。マサト達に出来る事は無い。救出をただひたすら待つしかないだろう。しかし、それほど大規模な気密漏れともなれば、直ぐに気付かれるだろう。おそらく、それほど心配する状況では無いはずだ。

二つ目。コンピュータが誤作動を起こしている場合。可能性としては、こちらの方が高い。気密漏れが五箇所同時に起こるとは考えにくいからだ。そして、危険性も高い。全ての出口が閉鎖されたということは、気密漏れが起こっているのは、隔壁のこちら側。そして、正しく機能していない生体認識システム。致命的ではないにもかかわらず、警告無しに隔壁を閉じたということは、自分達がいることをシステムが認識していないはずだ。コンピュータが誤作動を起こしている以上、この危機が外部に知らされていないかもしれない。そして、自動で行われるはずの応急修理も満足に行われていないとしたら……。

「ヤバイな……」

手を止めてマサトはつぶやく。自分の出した結論に、戦慄した。

「マサト、大丈夫? 震えてるよ?」

いつの間にか横に来ていたフィリオが肩に手を掛ける。

「何がヤバイの? 僕にも教えてよ、マサト」

ゆっくりと自分の考えを話し始めた。

マサトの説明が終わった後、沈黙が支配した。その沈黙を破ったのは、フィリオである。

「でも、マサト。気密漏れを何とかして、頑張って外に連絡すればいいんだよね? そんなの簡単じゃない! 僕とマサトなら楽勝だよ!」

フィリオは引き攣った笑みを浮かべ、精一杯明るい声を出す。

「フィル……」

放心状態で床に座り込んだマサトの腕を、フィリオが引っ張る。

「ほら、マサト! そんな深刻な顔しないでよ! 今こそマサトが必要なんだから! マサトのこと、信じていいんでしょ!」

マサトが演習の前の晩に言った言葉だ。マサトはフィリオを見上げる。

「そうだ。俺が、フィルを助けるんだよな……」

「そうだよ、マサト。それに、マサトの言うことが本当なら、早く何とかしないと!」

力を振り絞って立ち上がる。フィリオの言うとおり、ゆっくりしている暇はない。

フィリオがマサトに抱きつく。

「僕も怖いよ……マサト……」

「ああ」

下を向いて、親友の柔らかい毛に頬を擦り付けた。この親友を守るのは自分だ。頭をフル回転させ、何が出来るかを整理する。

「フィル。まずは、何とかして、ネットワークに繋ごう。まずは外へこの事を知らせないと。そして、気密漏れが発生している場所を見つけるんだ」

マサトの胸に顔を埋めたままのフィリオが口を開く。

「やっぱり、頼りになる。本当にマサトが一緒にいてくれて、良かった……」

顔を上げたフィリオが笑顔でマサトを見つめる。

「まずは、情報収集だね。緊急事態が起こった時の基本!」

「うん。そうだな」

不思議と心地よさが胸に広がる。危機的な状況に置かれているというのに。フィリオがそうさせてくれるのだろうか?

「無線じゃ無理そうだから、直接つなげないか試そう」

PDAは通常、無線で通信を行う。しかし、この倉庫内には、PDAが対応する電波は飛んでいないようだ。

「このPDAに対応したコネクタがあればいいんだけど」

マサトはきょろきょろと周囲を伺う。目に入る範囲には、PDAが接続できるコネクタはなさそうだ。

「マサト、ここじゃ無理だよ。ここの設備って結構古そうだし、多分そのPDAには対応できないよ」

マサトの持つPDAは最新のプロセッサが載っているが、省スペース化のために、古いインタフェースが削られている。特に、有線系のものは最新型の一種類しか搭載されていない。

「僕のなら大丈夫そうなのに……。何で壊れちゃったんだろ?」

火の消えた自分のPDAを悲しそうに見つめるフィリオ。その側面には昔から汎用的に使われているコネクタが見える。

「多分、太陽フレアだな。荷電粒子の影響で、過電流が流れたんだ」

フィリオのPDAは半導体で出来たプロセッサを搭載していた。太陽フレアは時に強力な荷電粒子を生み出す。その荷電粒子は半導体に大電流を流し、プロセッサを焼き切ってしまう。マサトのPDAは最新型の光集積回路を用いていたため、破壊を逃れたのだろう。フィリオのPDAにもエラー訂正機能は付いていたが、半導体が壊れるのは防げない。破壊を防ぐには、電源を切るか、専用の対策を施す必要がある。

「ここのコンピュータも太陽フレアでおかしくなっちゃったのかな?」

「かもな。あんまり考えにくいけど」

市販品のPDAならまだしも、静止軌道ステーションのコンピュータが誤作動を起こすとは考えにくい。それほどの太陽フレアであれば、発生する放射線も強力で、マサト達の体も危ないだろう。しかし、朝見たX線の強度を見る限り、普通の太陽フレアであったはずだ。

マサトは首を振って、考えを中断する。行動するのが先だ。

「倉庫、探ってみよう。何か使えるものがあると思う」

二人は自分達が進んできた通路を振り返った。倉庫内に異状が起きたことを示す、赤い非常灯が等間隔に並んでいる。曲がりくねった配管が不気味な影を作り出していた。

埃っぽい倉庫の中で、使えそうな装置を見つけた。直方体の箱の前面には多くのコネクタが並んでいる。その中には、マサトのPDAについているものと同じコネクタもあった。後ろから出たケーブルは、柱を伝って上へ向かい、天井の奥へと消えている。マサトの予想では、これはネットワーク・ハブだ。

マサトは前面から出たケーブルを引っこ抜き、自分のPDAへ繋ぐ。

「どう?」

PDAを覗き込むフィリオ。

「駄目だ。認識はしたみたいだけど、繋がらない」

タッチパネルを色々と弄るが、状況はなかなか改善しない。

「こんなとき、サトルがいてくれたらなぁ」

マサトの脳裏に、友人達の顔が浮かぶ。それほど離れていないはずなのに、連絡を取ることさえできない。早く、彼らの元へ帰りたい。

「マサト、こっちも試してみよ」

弱気になりそうになるマサトを鼓舞するように、フィリオが別のケーブルに差し替える。

「あっ! 繋がった」

PDAにネットワークに接続されたことを示すアイコンが表示された。マサトは画像の出力先をコンタクトに変更し、フィリオのコンタクトにも同じ画面を送る。

「まずは外に連絡してみよう」

PDAを操作して、外部にコールできないか試してみる。コンタクトには、通信不可の文字。代わりに、専門用語が並んだ画面が表示された。所々、赤い文字で強調されている。

「外には繋がらないみたいだね。それにしても、これなんだろ? 倉庫の管理システムかな?」

「……そうみたいだな。役に立つ情報がないか調べてみるか」

ページを送る。擾乱じょうらん蓄積、CMG残存角運動量……。このあたりは、姿勢制御に関係しているようだ。中身は分からないが、講義で聞いたことがある。

電力系統接続状況、蓄電電力量……。今度は電気に関係することだ。文字が赤くなってないので、問題ないのだろう。

冷却液循環・熱交換器運転状況、ラジェータ放熱効率……。温度を管理する項目である。ラジェータの項目が赤く点滅している。倉庫の外部に設置されたラジェータの放熱が止まっているらしい。詳しくは分からないが、急激に気温が変化している訳ではないので、とりあえずは放って置いても大丈夫だとマサトは判断した。

「次は……気密管理。これだ!」

フィリオがつばを飲み込む音が聞こえた。詳細を表示させる。

「Bブロック、第二分室に気密破れ発生。自動応急システムによる対処完了。微小な減圧がなおも継続中。目視確認の必要あり……」

マサトが表示をぼそぼそと読み上げる。気圧のグラフがある瞬間に急激に落ちた後、再び上昇している。その後は、のこぎりの歯のようにグラフが波打っていた。抜けていく空気をシステムが補っているのだろう。

「マサト、これって……」

真剣な眼差しでマサトを見る。

「ああ。多分、ちゃんとシステムが対処してくれたんだ」

気密漏れは他に無いらしい。二人はふうっと安堵の息を吐く。

「これで、まずは一安心だな」

「うん。でもマサト、この確認の必要ありってのが、気になるね」

フィリオが目を瞑って少し考えた後、再び口を開いた。

「ねえ、マサト。提案があるんだけどさ」

「なんだ?」

「うん。あのね、僕がこの確認をしてくるから、マサトは外と連絡取れないか試してくれない?」

その提案にマサトは大きく頭を横に振る。

「駄目だ! そんなの、危ない!」

「応急処置は済んでるし、気圧も一応は安定してるんでしょ? ちょっと確認するだけだから、大丈夫だよ」

「いや、でも、何があるか分からないし……」

PDAから手を離して、フィリオと向き合う。

「何かあるんなら、なおさら確認に行っといた方が良いんじゃない?」

確かに、マサトも確認の必要があるとは思っている。しかし、ここで親友を一人で行かせても良い物だろうか?

「やっぱり、駄目だ。フィル。一人じゃ危なすぎるよ。どうしても行くって言うんなら、俺も行くよ」

立ち上がろうとするマサトをフィリオが引き止める。

「ううん。マサトはここで、外部と連絡を取る方法が無いか探してみてよ。連絡が取れるかどうかが一番大事なんだから、マサトには頑張ってもらわないと。それに、ちょっと見てくるだけだよ。もし、何かあったら、直ぐ戻ってくるし」

マサトはなおも引きとめようとフィリオの尻尾を掴む。

「マサト。大丈夫だよ。何があっても、きっとお父さん達が守ってくれるから」

フィリオが首にかけているプレートを取り出す。マサトが持っているものと同じプレートだ。事故にあったフィリオの両親が、最後に乗った宇宙機のパネルの一部。

「それにほら、僕も何か役に立つことがしたいんだ。そうしないと、お父さんに怒られちゃうよ」

フィリオの本心はこちらの方なのだろう。両親の事故が、フィリオの強すぎる責任感を生み出していることは疑いようが無い。マサトは葛藤する。この状況で一人になるのはあまりにも危険すぎる気がする。とはいえ、フィリオの気持ちを考えると、ずっと反対するのも可哀想だ。それに、フィリオの案の方が効率が良いのも間違いない。時間の浪費は危険である。

「分かったよ。フィル。でも、ちょっとでも危ないと思ったら、直ぐ戻って来いよ。いいか、絶対に無理はするなよ。いいな?」

マサトは何度もフィリオに念を押す。

「うん。約束する。危ないことはしないよ」

フィリオは倉庫で見つけた地図を見て場所を確認する。マサトの持つPDAから少し離れれば、コンタクトの表示は消えてしまう。メモリ機能は無いのだ。

後ろ髪を引かれる気持ちでフィリオの後ろ姿を見送った。

部屋を出たフィリオは地図を見ながら、Bブロック、第二分室へと向かう。割と距離がありそうだ。途中には、かなり狭い通路があり、気をつけないと突き出した配管にぶつかりそうになる。階段とはしごを降りて、角を曲がるとその部屋があった。この区画はほむらが出来て直ぐの頃から使われているのか、かなり複雑な構造になっている。段差が多いのは、ここがまだ回転しておらず、無重力だったときに使われていたからなのだろう。

部屋のドアはロックされていた。フィリオは部屋の前にあるディスプレイで状況を確認する。

「えーっと、まずは気圧の確認っと」

フィリオは口に出しながら、ロックを解除しても大丈夫かどうかを確認する。部屋の気圧や汚染が無いかどうか、危険物が保管されていないかどうか等だ。

保管物の注意書きの一つが目に付いた。

〝第一分室にて爆発の危険性がある物質を保管中。無酸素、乾燥、低圧の状態を保つこと。酸素濃度が上昇した場合は、速やかに隔壁を閉鎖し、真空に暴露すること〟

倉庫には、気密漏れが発生した第二分室に加えて、第一分室があるらしい。各部屋の状況を確認するフィリオ。

〝第一分室:与圧―管理外。隔壁―閉鎖エラー。特記事項―酸素濃度上昇のため、緊急封鎖を実施中。隔壁に問題あり。至急対処すること〟

どうやら、第一分室でもトラブルが起こっていたらしい。しかも、緊急事態のようだ。フィリオの尻尾に思わず力が入る。

〝第二分室:与圧―管理中。隔壁―開放。特記事項―気密漏れ応急処置システム作動〟

第二分室の気圧は〇.九五付近を行ったり来たりしている。

「うーん、どうしよう。第一分室の爆発物っての……早くしないとヤバイよね……」

フィリオは腕を組んで一瞬考える。マサトとの約束を守るなら、ここで引き返すべきだ。でも、至急対処が必要らしい第一分室に、その時間が残されているのだろうか?

すぐに決心したフィリオは宇宙服を探す。気圧は問題なさそうだが、もしものことを考えての行動だ。翼を持つフィリオの体にぴったり合うものは見つからなかったが、大きいサイズの宇宙服でごまかす。かなりぶかぶかで動きにくい。もっとしっかりと探せば有翼種用の宇宙服もあるだろう。しかし、今は時間が惜しい。

この倉庫には簡易的なエアロックが設けてある。エアロックの先に第二分室があり、隔壁を挟んで第一分室となっている。わざわざエアロックがあるのは、第一分室が真空になる可能性があるからだろう。フィリオは慎重にエアロックを開放した。

「……うん。大丈夫そう」

第二分室の気密が保たれていることを確認したフィリオは、ヘルメットを脱ぐ。古いタイプの宇宙服なので、視界がかなり狭くなるのだ。メットを脱いだフィリオの髪の毛が風になびく。どうやら、空気の流れがあるようだ。

「ファン……かな? それにしては、流れがきつい気がするけど。やっぱり、マサトと一緒の方が良かったかな……」

いつも的確なアドバイスをくれるマサトが傍に居ないのは、やはり心細い。不安を感じつつも、勇気を奮い立たせて奥へ進む。気圧が安定しないということは、どこかで空気が漏れている証拠だ。まずはその原因を探る必要がある。

第二分室には大きな箱や、複雑な装置、ガスボンベなどが所狭しと並べられていた。フィリオが角を曲がり、通路の奥へ目をやる。十メートルくらい先で、丁寧に並べられた保管物が崩れている。

「ここで気密が破れたのかな?」

少しでも不安を和らげようと、ワザと大き目の声を出す。耳の直ぐ横を、風が通る音が聞こえる。空気漏れの原因が近いようだ。

フィリオは崩れている荷物にゆっくりと近づいた。金属で出来た箱に穴が空いている。何かが貫通した後のようだ。横の箱にも穴。フィリオはその穴を辿って、大元を探す。

「あれ? ちゃんと塞がれてる……」

壁には穴があった。しかし、そこは既に白い樹脂状のもので、内側から塞がれている。穴を感知したシステムが自動的に応急処置を行ったのだ。外壁は複数の層に分かれているため、システムは壁の内側から穴を塞ぐことが出来る。

フィリオは動きを止めて、空気の流れる方向を見定めた。風の向きはこちらの穴とは逆方向。通路のさらに奥に空気が流れているようだ。

フィリオは小走りで通路の先へと向かう。この先は、フィリオが今居る第二分室と、第一分室をさえぎる隔壁があるはずだ。隔壁を良く見ると、しっかり閉鎖されていない。扉と扉の間に隙間が空いている。

隔壁に近づいたフィリオは上を見た。そんなに大きくは無いが、穴が空いている。その穴とフィリオが先ほど見た外壁の穴は直線状に並ぶ。何かが貫通したように思えた。

「隕石? それとも、デブリかな……」

フィリオはつぶやく。デブリとは、地球の周りを回る、厄介な宇宙ごみ――スペースデブリ――のことである。隕石と共に、宇宙に浮かぶ構造物にとって危険な存在だ。この穴が原因で、隔壁がしっかりと閉じなかったのだろう。外壁の穴とは異なり、倉庫の内部はシステムが自動で対処するのは難しい。

隙間をすごい勢いで通り抜ける風を見てフィリオははっとする。今、自分が息が出来るということは、空気中に酸素が含まれるということだ。そして、その空気が爆発物を保管してある第一分室のほうへ流れ込んでいる。きっと、この奥でも穴が空いているのだろう。そして、その穴を通って、今も第一分室へと酸素が流れ込んでいる……。

「ヤバイ! どっ、どうしよう!」

血眼になって、何か対処する方法が無いか探す。隔壁の直ぐ横に設置された、表示板に目が止まった。

〈予備隔壁:操作方法①カバーを破り、ロックを解除する……〉

「これだ!」

急いでその説明を読む。拳でカバーを割る。レバーを押し上げてロックを解除した。横にあるハンドルを使って、急いで隔壁を閉鎖する。

隔壁がぴったりと閉じたことを示す、かちりという音がした。流れていた空気が止まる。フィリオは突然、動悸がするのを感じた。息も苦しい。いきなり激しい運動をしたからか? 頭もふらふらし始める。

(あれ? 何でだろ? すっごく眠い……)

壁に手を当てて、深く息をする。途切れそうになる意識の中、フィリオは目の前に漂っているお守り代わりのプレートを握り締めた。いつの間に宇宙服から飛び出たのだろう?

「マサ……ト……」

親友の名を呼びながら、ゆっくりと崩れ落ちるフィリオ。プレートを繋ぐチェーンが壁のレバーに引っかかり、はじけ飛ぶ。

遠くで空気が抜ける音が聞こえた。

フィリオが危機に瀕する直前、マサトは何とか外部との通信を成功させていた。ただし、一方通行のメッセージのため、ちゃんと届いているかどうかは分からない。

「なんだ?」

さらなる通信手段を探すマサトの目の前に、トラブルを示す表示が現れた。場所はBブロック、第二分室。フィリオの向かった部屋だ。詳細を確認する。どうも、エアダクトに異物を検知したらしい。そのダクトは予備として設置されているものらしく、トラブル自体も急を要するものではなさそうだ。しかし、そこには大切な親友が居るはず。嫌な予感がしたマサトはもう一度、第二分室の状況を確認する。

「どういうことだ!?」

各気体の分圧をチェックしたマサトが大声を上げ、勢い良く立ち上がった。第二分室の酸素分圧が急激に減少していたのだ。もし、フィリオがその空気を吸えば、運が良くても一瞬で意識を失うだろう。悪ければ……

マサトは考えるのを止め、出口へとダッシュする。足に絡んだケーブルが弾けとんだ。必要なのは酸素マスク。確か、部屋の前に設置してあったはずだ。

ガラスの奥に目的の酸素マスクが入っている。開錠レバーに飛びつき、思いっきり引っ張る。

「くそっ!」

開かない。錆び付いているようだ。マサトは傍にあったずっしりと重い電源ボックスを掴み、ガラスに思いっきり叩き付けた。しかし、ワイヤで強化されたガラスはヒビが入るだけで、割れない。

マサトは、電源コードを引き抜き、そのコードで自分の尻尾に電源を固定した。

「ふんっ!」

息を止めて、体を一気に回転させた。電源ボックスがガラスに衝突する瞬間、尻尾に力を入れ、勢いを増加させる。

――ガシャン!

粉々になったガラスの破片と共に、赤い雫が飛び散る。ガラスにぶつかった拍子に尻尾を切ったらしい。マサトは傷を気にすることも無く、無造作に電源を剥ぎ取り、目の前の酸素マスクを二つ引っつかむ。

(フィル、無事で居てくれ!)

前傾姿勢をとって、マサトは全力で通路を駆け抜ける。口を大きく開け、出来る限り多くの酸素を体に供給する。バランスを取るために高く上げた尻尾の白い毛が、血で赤く染まっていた。

「痛っ!」

突き出た配管に翼をぶつけた。バランスを崩しそうになる体を、力ずくで元に戻す。通路はさらに狭くなった。スピードを殺さないように、翼を体に引き付け、一気に通過する。

(次は、段差があるはず!)

マサトは頭の中の地図と周囲の光景を照らし合わせる。予想通り、目の前に段差が現れた。高さはビルの三階ほど。階段とはしごを使えば遠回りになる。

迷わずマサトは飛び降りた。大きな翼をめいいっぱい羽ばたかせ、空気抵抗を最大限に利用する。着地。足全体と尻尾でショックを吸収する。先ほどぶつけた翼が、ずきずきと警告の痛みを発している。大丈夫。足はくじいていない。体のばねを使って、再度走り出す。フィリオがいるのはもう直ぐそこだ。

(フィル、もうすぐだから!)

心の中で何度も親友の名を呼ぶ。尻尾に鋭い激痛が走った。先ほどの大ジャンプで傷口が広がったのだろう。これくらいの傷なんてどうでもいい。

(もし……もし万が一にでも、フィルに何かあったら……)

もしそうなったら、自分はこの先、生きていけないだろう。だから、フィリオが助かるなら、自分の体などどうなっても良い。

部屋の前で酸素マスクを付け、ドアを開こうとする。

〈酸素分圧低下、入室は許可できません〉

アラートと共に、ディスプレイに表示される警告。マサトはドアの直ぐ横にある、レバーで手動操作に切り替える。気圧に差が無い場合は、手でも空けることが出来るはずだ。悠長にシステムを説得する余裕は無い。

――ガン!

マサトは壁に立て掛けてあった、丈夫そうな金属の棒をドアにねじ込む。思ったよりも簡単に隙間が出来た。金属棒を捨てて、無理矢理ドアを開く。

親友の姿を血眼になって探すマサトを、血の跡が追う。

「フィル!」

角を曲がった先に捜し求めていたフィリオの体が見えた。マスクをつけているせいで、声がくぐもる。

「しっかりしろ! フィル!」

フィリオに駆け寄ったマサトはしゃがみこんで頬を叩く。まずい。完全に意識をなくしている。マサトは下あごを押し上げて、気道を確保し、すばやく酸素マスクをつける。

「お願いだ、目をあけてくれよぉ」

マサトはフィリオの体に抱きつき、何度も揺さぶる。目からは涙がとめどなく零れ落ち、フィリオの顔を覆う柔らかな毛を濡らす。

「んっ」

フィリオが小さく呻いた。

「フィル!」

マサトはフィリオに思いっきり顔を近づけ、マスクのせいで聞き取りにくくなった親友の言葉を拾い上げる。

「マサト……なの?」

マサトが口を開こうとしたとき、背後でカタンと音がした。悪い予感がしたマサトは翼を広げ、フィリオの体を覆う。その直後、

――ドォン! ガン!

空気が一気に膨張したときに発生する爆発音が耳に届いたとき、マサトは後頭部に強い衝撃を感じた。一瞬で目の前が真っ暗になる。力を失ったマサトの体がゆっくりとフィリオの体にのしかかる。意識を失ってもなお親友を守るように……

マサトは夢を見ていた。それは、とても悲しい夢だった。大切な存在が今にも壊れてしまいそうなのに、自分達の力ではどうすることも出来ない。助けの手を差し伸べても、冷たく払い除けられてしまう。貴方達は気付いていない。このままではそう長くは無いことを。そう、私達は貴方達のことを心配している。貴方達はとても大切な存在だから……

「フィル! 痛っ!」

飛び起きたマサトは、激痛に身を強張らせる。限界まで酷使した体が悲鳴を上げているようだ。後頭部と左翼、そして尻尾が特に痛む。

「マサト、目が覚めた? よかった……」

目の前には心底ほっとした表情の親友の顔。

「ああ、フィル! 無事だったのか!」

体を乗り出して、フィリオの体を抱きしめる。大丈夫だ。フィリオの体温を感じる。

「良かった……本当に、良かった……」

マサトはぽろぽろと涙を流しながら、フィリオの胸に耳を当て、その鼓動を何度も確認した。

「マっ、マサト。そんなに、急に動いたら体に悪いよ」

フィリオはマサトを優しくベッドに戻そうとする。

「いやだ! もう、絶対に離れない!」

安堵の気持ちが心に行き渡ると、自身の身を案じないフィリオに腹が立ってくる。気持ちが昂ぶり、自分がコントロールできない。親友への想いが間断なく口に出る。

「フィル、危ないことはしないって、約束しただろ! それなのに……駆けつけてみたら、お前が倒れていて……」

拳を握り締め、フィリオの胸を何度も叩く。

「ごめん……」

そっとマサトの頭を撫でるフィリオ。

「俺、すごく怖かったんだぞ! 呼びかけても全然返事しないし、もう駄目かと……」

そのときの光景が目に浮かび、再び涙が零れ落ちる。

「マサト……本当に、ごめんね……」

「ううっ……フィル。今度こそ……今度こそ、約束してくれ。もう絶対に無理はしないって!」

フィリオの腕をぎゅっと握り締める。

「うん。約束するよ、マサト。もう、危ないことは絶対にしない」

マサトの頬を優しく撫でた。そしてフィリオは、マサトの目に浮かんだ涙を指でそっと拭い取った。

「でも、マサトも約束して。僕のために無茶はしないって。マサトの体、ぼろぼろじゃない。ほら、こんなに痛そうにして。可哀想だよ……」

優しく労わる様に、包帯に巻かれたマサトの尻尾をそっと触る。

マサトは改めて、自分が置かれている状況を確認した。後頭部には冷却剤が縛り付けられ、左の翼は、添え木で固定されている。尻尾の真ん中辺りに負った傷は思ったより大きかったらしく、包帯でぐるぐる巻きにされていた。太ももやわき腹の白い毛に黒くなった血の固まりが付いていた。出血がかなり多かったのだろう。他に大きな傷はなさそうだが、体を動かすと、所々鈍い痛みが走る。軽い打ち身や切り傷は全身に広がっていそうだ。

「ああ。でも、俺はフィルを助けたくて……」

マサトの言葉を遮る様に、フィリオは触れ合いそうなくらいまで、顔を近づける。

「マサト。僕は、マサトに負けないくらい、マサトのことを大事に思ってるんだよ。だから、マサトも自分のことを大切にして。ね?」

マサトを真正面から見つめるフィリオ。マサトは息をするのも忘れ、その眼を覗き込む。フィリオの眼にもうっすらと涙が浮かんでいた。

「フィル……。分かった。俺も無茶はしない」

「うん。ありがと、マサト。これからも二人で頑張ろうね。はい、これご褒美」

フィリオの唇がそっとマサトに触れる。少しの間、マサトの鼓動が止まる。

二人の唇が離れた後、マサトは再度泣き崩れた。親友を思う気持ちが溢れ出して止まらない。

「うわぁぁぁん」

マサトは、柔らかい毛に覆われたフィリオの胸に頭を委ねて、大声で泣く。大切な人の無事を知った安堵、一緒に居れる喜び、そしていつか失うかも知れないという不安。色々な感情をごちゃまぜにして、マサトは涙を流す。

「全く……。マサトは昔っから、泣き虫なんだから……」

フィリオは泣き続けるマサトの背中を、何度も撫でる。そしてその体を、翼で優しく包み込んだ。まるで、マサトの身を癒すかのように。

部屋に入ろうとするリズをサトルが引き止める。

「何するんだよ、サトル。見るもの見たんだし、もういいだろ?」

「ちょっ、リズ君。何てこと言うの! デリカシーがちっとも無いんだから。もうちょっと、二人っきりにしといてあげようと思わないの?」

リズは苦い顔でサトルを見る。

「ったく、なんだよ偉そうに。サトルも二人がキスするとこをじっと見ていたくせに。なあ? バク?」

「うん! サトル兄ちゃん、すっごく真剣だったね。僕の目を隠して、独り占めしようとするし」

「ちょっと、バク君まで……。それは、バク君にはまだ早いと思ったからだよ!」

手を振って、必死に否定するサトル。サトルが焦るとは珍しい。

「うーん、でも僕はいろいろ資料見てるから、キスくらい知ってるよ。お父さんとお母さんにも見せてもらったし」

自慢げにバクが言う。その言葉にリズが驚きの声をあげる。

「へぇ、宿森先生、そんなに大胆なのか。意外だなぁ」

「えへへ。ホントは、僕が勝手に見たんだけどね。たまたまモニタで二人がキスしそうな場面を見つけたから、コッソリ見に行ったんだ!」

バクに悪びれた様子は全く無い。人間に良く似ているとはいえ、やはりバクはAIだ。思考経路が人間とは少し異なっている。サトルは、プライバシーの大事さを教えてあげないと、と自分のことは棚に上げて思った。

「……バク君って、意外と進んでるんだね」

サトルは先ほどのやり取りを思い返して、ふと不安に駆られた。バクに確認する。

「バク君、もしかして、フィリオ君達を録画してたりしないよね?」

「えっ、録画? お兄ちゃん達が見れる形では残ってないよ。生体端末の目で見た情報は、残ってるけど、そのままじゃ理解できないと思うし。頑張れば、画像データを作れると思うけど……」

バクがすらすらと解説する。問いを発したサトルを、リズが怪訝な目で見つめた。

「サトル。お前がそんな奴だとは思わなかったぜ……。まさか、盗撮が趣味だなんてな」

「ちっ、違うよ! 僕は、二人のプライバシーのことを考えてるだけだよ! もし、あのシーンが記録に残ってたら、可哀想でしょ!」

サトルは大慌てで弁解する。長い耳の内側が真っ赤だ。そんなサトルの肩にぽんと手を乗せ、リズが頷く。

「いいって、サトル。俺は分かってるから」

リズはバクの方へと振り返る。

「なあ、バク。悪いけど、そのシーン、画像データに変換してやってくれないか? 俺からも頼むよ」

「だから、違うって!」

サトルを無視して、リズは続ける。

「で、そのデータを俺にも頼む」

「リズ君!?」

サトルの素っ頓狂な声が廊下に響く。

「あっ! 気付かれちゃったみたいだよ」

バクが冷静に指摘した。

「で、どういうことか説明してくれる?」

リズ、サトル、バクの三人がフィリオの前に整列させられている。バクは畏まる二人の様子を見て、同じように背筋を伸ばしている。しかし、表情は楽しそうだ。

「フィリオ君、僕達は別に覗いてたわけじゃなくて……」

「覗いてたわけじゃなくて、何?」

フィリオがサトルの言葉を最後まで言わせない。横にいるマサトも、なぜか一緒に怒られている気になるほど、凄みのある言い方だ。先ほどまで流していた涙は、すっかり乾いている。

「まあ、僕達のことを心配してくれたのは、とっても嬉しいけど……。こっそり覗くのは止めてよね」

「ごっ、ごめんなさい」

サトルとリズが頭を下げるのを真似て、バクも同じようにする。

「まあ、僕達も心配かけちゃったんだから、お互い様だけどね。それとバク君、覗きは良くないことなんだから、このお兄ちゃん達の真似しちゃ駄目だよ」

「はい!」

元気に答えるバク。

「あと、バク君。あのデータは残しちゃ駄目だよ。もし何かあったら、リョウコさんに相談しないといけなくなるからね」

にっこりとバクに微笑みかけるフィリオ。笑顔が逆に怖い。これにはバクも何かを感じ取ったらしい。急に不安げな表情を浮かべ、無言で頷く。少し可哀想だが、良い経験になったはずだ。

「で、お説教はこのくらいにして。何が起こったのか分かった? バク君?」

話の流れについていけないマサトが口を挟む。

「ちょっと待った、フィル。もうバクに何か話したのか?」

「あっ、そうか! マサトはずっと気を失ってたんだから、ちゃんと説明しないとね」

フィリオとバクの説明をまとめると、こうだ。まず、Bブロック、第二分室へと辿り着いたフィリオは、危険物が保管されている第一分室と第二分室の間の隔壁が破壊されていることを発見した。第一分室の危険物は、酸素と反応することで、爆発する。本来は酸素が流入すると、自動的に空気が抜かれて真空になるはずだが、第一分室を密閉するはずの隔壁が破壊されていたため、システムは空気を抜くことが出来なかった。

このままでは、爆発の危険性がある。そこでシステムは、第一分室を真空にすることを諦め、酸素をなくすことにしたらしい。もちろん、第一分室と第二分室は繋がっているため、フィリオが居た第二分室の酸素もなくなることになる。これがフィリオが気を失った原因である。

その後、フィリオの命を掛けた活躍により、隔壁が閉鎖できたため、システムは第一分室の空気を抜くことが出来た。その時点で、第二分室には再び酸素が供給され始めたらしい。バクの推定では、フィリオの行動が無ければ、酸素濃度の低下が間に合わず、倉庫ブロックに致命的なダメージを与える大爆発を起こしていた可能性が高いらしい。フィリオの行動で、マサトは命拾いしたのだ。

「フィル、途中で爆発があったと思うんだけど、アレは別の原因なのか?」

マサトには、その時点からの記憶が無い。

「うん。それはね。どうも、圧縮空気が入ったボンベが爆発したみたいなんだ。詳しいことは僕もまだ聞いてないんだけど、外壁と隔壁を破壊したのと同じものが原因で、ボンベも傷ついていたみたいなんだ」

「それが俺にぶつかったのか……」

マサトは後頭部をさする。

「あの時は、守ってくれて、ありがとね。マサト」

フィリオがそっとマサトの尻尾に、自分の尻尾を絡ませる。皆には見えないようにこっそりと。マサトは顔が熱くなるのを感じた。フィリオに先を急かす。

「で、その後は?」

「うん。爆発の後、マサトが気絶しちゃったから、僕は救急セットを探したんだ。入り口の近くで、直ぐ見つかったんだけどね。それにしても、マサト。すっごい血が出てたから、びっくりしちゃった。包帯巻いても全然止まんないし……」

そのときのことを思い出したのか、フィリオが体を震わせる。マサトと同じくらい、フィリオも怖かったのだろう。自分も同じ体験をしたため、フィリオの気持ちが手に取るように分かる。

「連絡手段を探しに行こうかとも思ったんだけど、マサトが心配だったから、ずっと傍に居たんだ。待っても、待っても何も起こらないし、もう駄目かもって思っちゃった。でも、きっとマサトが手を打ってくれてるって信じてたから……」

マサトはフィリオの手をぎゅっと握る。

「で、やっと救助隊が来てくれたんだ。救助隊と言っても、宿森先生とその同僚の方達だったけど。僕には何時間にも感じたのに、実際は一時間も経ってなかったみたいだね」

「じゃあ、俺のメッセージが届いたのか?」

マサトの問いにバクが答えた。

「うん。僕がたまたま見つけたの。倉庫エリアは僕の担当外だから、ホントはいけないんだけど、直前に倉庫付近でトラブルがあったから、トラフィックをずっと見てたんだ。それで、マサト兄ちゃんのメッセージを見つけたの。それから急いで、お父さんに連絡したんだ」

「そっかぁ。じゃあ、バクは俺達の命の恩人だな」

「えへへ」

バクは照れた様子で頭を掻いた。

「僕達もバク君から連絡をもらって、急いでフィリオ君たちが治療を受けているこの病院に駆けつけたんだ」

サトルに続き、リズ。

「マサト、お前が意識不明だって聞いたから、心臓止まりそうになったぜ。直ぐに重体じゃないって分かったから良かったけど」

フィリオがその後を引き継ぐ。

「そう。僕達はこの病院で治療と精密検査を受けたんだ。僕は、低酸素症になってたんだけど、マサトが直ぐに助けてくれたから、何にも問題ないって」

その言葉を聞いて、マサトはほっとする。低酸素症が長く続くと、障害が残る可能性もあるのだ。

「その精密検査なんだけど、フィリオがごねて大変だったんだぜ。医者が検査するから、お前から離れろって言っても、全然聞かなくってさ。ずっとマサトと一緒に居るんだって、言い張って。全く、見せ付けてくれるよ」

リズがニヤニヤと笑いながら言う。フィリオが真剣な目つきでリズの方を向いた。リズは何時ものように、フィリオのカミナリが落ちると思ったのか、身を構える。

「……当たり前じゃない、リズ君。僕の大好きな人の命が危ないかも知れないんだよ。そんなの、離れられるわけ無いじゃない。僕はずっとマサトと一緒に居たかったんだ」

「へっ!?」

予想外の答えを聞いたリズが変な声を上げた。そして、直ぐに謝る。

「ごめん、フィリオ。そうだよな。俺、変な事言っちゃったな……」

フィリオはその言葉を聞いて表情を緩めた。

「いいんだよ、リズ君。リズ君だって、本気でマサトと僕の事、心配してくれてたし。それに、サトル君、バク君もありがとう。ずっと僕を励ましてくれて」

マサトはその言葉を聞いてまた泣きそうになった。自分はなんていい仲間に囲まれているんだろう。こんなに幸せな人間が他に居るだろうか? マサトはこの仲間達を一生大事にしようと心に誓った。

「ううん、フィリオ君。僕達はそれくらいしか出来なかっただけだよ」

サトルが続ける。

「でね、精密検査の結果、マサト君もそんなに危険な状態じゃないって分かったから、僕とリズ君、バク君、それに宿森先生たちは一旦引き上げる事にしたんだ。フィリオ君には色々と経緯を説明してもらって、疲れてそうだったから、ゆっくり休んでもらわないといけなかったしね」

「そういや、俺はどれくらい寝てたんだ?」

「うーん……大体四時間くらいかな。お医者さんが言うには、マサトの怪我は大きそうに見えるけど、実はそうでも無かったんだって。マサトって、体だけは無駄に頑丈に出来てるんだね。心配して、損しちゃったよ」

少しおどけた調子でフィリオが答える。しかし、その声には、いつも通り、自分を思いやる気持ちが混じっているのをマサトは感じた。

ふと、ある事が気になったマサトがサトルへ問う。

「そういやサトル、何で俺の意識が戻った事が分かったんだ?」

「それは、僕がセンサでマサト兄ちゃんの脳波に変化があったことを感知したからだよ。お父さんにも連絡したんだけど、ちょっと忙しそうだったから、サトル兄ちゃん達と一緒に病室にいったんだ」

バクの後に、腕を組んだリズが一言付け加える。

「で、あの場面に出くわしたというわけだ」

その場の空気が凍りつく。サトルが目でリズを非難している。マサトがリズを張り倒そうか迷っていたとき、突然、フィリオが口を開く。負けを認めたような口調だが、どこかホッとしたようでもある。

「もういいや……。そうだよ。僕はマサトのことが好きなんだ。もちろん友達として以上にね」

その言葉を聞いて、マサトも意を決する。

「フィル……。俺も、お前の事が好きだ。ずっと前から。男同士でなんて、変じゃないかとずっと迷ってたけど、好きってことにそんなの関係ないよな!」

横に居るフィリオに抱きついて、今度は自分からキスをした。

口付けを交わす二人を、傍観者達がぽかんと見つめる。当のフィリオもマサトの突然の行動に驚いたようだ。目を白黒させている。

マサトがそっとフィリオから離れた。もはやマサトの目には、フィリオの姿しか入ってないようだ。心底幸せそうに微笑んでいる。

「全く……公衆の面前でよくやるぜ。こっちが恥ずかしくなるよ。まあ、おめでとう、マサト、フィリオ」

リズがぱちぱちと手を叩いて、二人を祝福する。サトル、バクもそれに続く。

「わっ! わっ! みんな、やめてよ!」

フィリオが拍手を止めさせようと、手を振るが、効果は無い。長い毛に覆われているため、分かりにくいが、フィリオの顔は湯気が出そうなくらい真っ赤になっている。

「おっ! フィリオが慌てるなんて、珍しいな。フィリオはともかく、マサトの方は、前からばればれだったぜ。それにしても、これって俺のお手柄なんじゃね? 恋のキューピッドって奴かな」

――ガスッ!

フィリオがお得意の回転蹴りをリズのわき腹に食らわせた。

リズがフィリオのお仕置きを受ける一方、バクがひそひそと小さな声でサトルに質問している。

「ねえ、サトル兄ちゃん。これってどういう事なの? マサト兄ちゃん達がお付き合いするってこと? ずっと気になってたんだけど、二人とも男の子だよね?」

どうやらバクは、何が起きているのか良く理解していなかったらしい。サトルは答えに窮する。

「……あとで、データベースの場所、教えてあげるよ」

サトルがお茶を濁したところで、ハヤトが病室に入ってきた。

「空木君、意識戻ったんだね。はぁ、本当に無事で良かったよ」

突然の来客に、最も驚いたのはフィリオだろう。

「あっ、宿森先生! 心配おかけしました。この通り、マサトは元気です。バク君もお見舞いに来てくれて、みんなでマサトの意識が戻ったことをお祝いしてたんです」

不自然なほど早口で状況を説明するフィリオ。ハヤトは少し疑問に感じたようだが、深く追求はしないことにしたようだった。

「いやいや。これは、私達の責任でもあるわけだし、本当に申し訳ない」

ハヤトは大きく頭を下げた。

「ほむらの環境エンジニアとして、情けないよ。しかも、自分の学生を危険に晒すなんて、教官失格だね」

首を振りながら、大きくため息を吐く。ハヤトの登場で、ようやく正気に戻ったマサトが質問する。

「宿森先生、一体何が起こったんですか? ほむらでこんなことが起こるなんて、よっぽど想定外のことが起きたと思うんですが……」

マサトの問いに、深刻な顔つきで答えるハヤト。

「うん。詳しいことはまだ調査中だけど、とりあえず分かっていることを話すね。まず、外壁破損の原因は隕石みたいなんだ」

「隕石……ですか? でも、隕石がぶつかることなんて……」

「そう。通常では考えられないね」

隕石やスペースデブリに対して、ほむらでは複数の対策を立てている。まず、衝突によってほむらに致命的なダメージを与える大きさの隕石やデブリは、常にその軌道が監視されている。この規模になると、宇宙に存在する全ての構造物に大きなダメージを与える可能性があるため、全世界で隕石・デブリの軌道が継続的に追跡されているのである。逆に、大きいからこそ追跡できるとも言える。

次に、致命的ではないが、大きな障害を与える大きさの隕石。これに対しては、ほむら自身に予防措置が取られている。レーザによる隕石・デブリの破壊や金属板による防護である。ほむら周辺だけではなく、軌道エレベータ全体に隕石・デブリの接近を感知するレーダが取り付けられており、衝突前に対策をとれるようになっているのだ。超高速で接近するものに関しては、対策が間に合わない可能性もあるが、そのような物体が衝突する確率は非常に低い。

最後は、衝突しても問題にならない大きさのもの。これに関しては、特に対策はとられていない。ただし、衝突後に自動的に修復されるようにはなっている。

ハヤトが説明を続ける。

「でも、今回はそれが起きたんだ。どうも、太陽フレアが影響したようなんだ。防護システムが隕石の接近を感知して、対策を立てようとしたそのときに、その隕石を追っていたセンサが突然ダウンしたみたいなんだ。太陽フレアによるソフトエラーでね」

「ソフトエラーですか……」

「あっ、一応、弁解しておくと、ほむらに使われているセンサは普通の太陽フレアくらいでは、エラーが発生しないようになってるよ。今回の太陽フレアは今までより強力ということは無かったんだ。むしろ、弱かったくらいかな」

マサトが当然の疑問を口にする。

「じゃあ、何故?」

「うん。そこが大きな問題なんだけどね。なぜか、空木君達が居た倉庫ブロックだけ、不自然にソフトエラーの発生頻度が大きかったんだ。降り注いだ粒子は同じだったのにね。通常はエラー訂正機能が何重にもとられてるから、まず致命的なエラーは起こらないんだけど、その訂正機能を超えるほどのエラーが発生してたんだ」

ソフトエラーは、電子回路に荷電粒子が降り注ぎ、書き込まれた値が反転してしまうことで発生する。荷電粒子がぶつかるかどうか、そして、値が反転するかどうかは確率で表され、その確率は荷電粒子が増えるほど増加する。

「確かに、とても運が悪ければ、エラーが起こる可能性も無いことは無いよ。でも、ほむらのセンサにエラーが発生するなんて、数百年待って、一度あるか無いかくらいだよ。しかも、空木君達が居る事を感知するはずの、生体認識システムにもエラーが起こってたんだ。複数のコンピュータにエラーが起こるなんて、それこそ数万年に一度だよ」

ハヤトの説明を聞いて、マサト達は混乱する。フィリオが口を出した。

「つまり、他に原因があったってことですか?」

その問いにハヤトは首を横に振る。

「いいや。その数万年に一度が今日起きたんだ」

「ちょっと待ってくださいよ、先生。じゃあ、偶然、太陽フレアが発生しているときに隕石が近づいて、たまたまセンサに数百年年に一度のエラーが発生して衝突。そして、運悪く倉庫にいたマサト達が、またまた偶然にエラーが起こってしまったコンピュータに気付かれないせいで、事故に巻き込まれたってこと? そんなの、信じられないぜ!」

リズが掃き捨てるように言う。

「ちょっとリズ君、先生に言ってもしょうがないじゃない」

サトルがリズをたしなめる。

「いや、リズ君の言うことも最もだよ。私もそう思う。でも、それが実際に起きたんだ。エンジニアとしては、そんな偶然、到底受け入れられないけどね」

通常であれば、ここまで偶然が重なることは考えられない。普通のエンジニアであれば、何か他の原因があると考えるはずである。

「これから話すことは、他の人には言わないでね。本当は、まだ公表してはいけないんだけど、君達は当事者だから。一応、センター長の許可はもう得てるけど……」

ハヤトが声のトーンを変える。まるで、重大な機密情報を漏らそうとしているみたいだ。マサト達はごくりと息を呑む。ハヤトは一呼吸置いて気持ちを落ち着け、喋りだした。

「最近、こういったことが度々起きてるんだ。今回みたいに、実際に事故が起きたのは初めてだけどね。この現象を科学者達は、〝蓋然性の局所偏倚へんい〟って呼んでる」

「がいぜんせい?」

フィリオが首を傾げる。リズはもちろんのこと、マサトやサトルの顔にも疑問符が浮かんでいる。

「蓋然性は、確率のこと。そして、偏倚は、標準から大きくずれて偏っていること。つまり、〝蓋然性の局所偏倚〟とは、ある小さな範囲で、確率が極端に偏ってしまう現象を意味しているんだ。例えば、今回みたいに、倉庫ブロックだけ異常にソフトエラーが頻発するとかね」

マサト達は言葉を発しない。

「……皆、信じられないよね。確かに、唐突に全ては偶然でしたと言っても、納得できないのは分かるよ。でも、この現象は世界中で確認されている。多くは科学実験で見つかってるんだ。それに……」

ハヤトが言葉を詰まらせる。これ以上先を続けようか迷っているようだ。

「ううん。なんでもない。気にしないで」

「先生……」

マサトがつぶやいた。普段は歯切れが良いハヤトが、こんなに曖昧な態度をとることは滅多に無い。それほど重大な事態が起きているのだろう。

「本当に申し訳ない! 空木君、ユーレ君。今はこれくらいしか分かってないんだ」

再びハヤトが頭を下げる。

「いえ、気にしなくていいですよ、先生。僕もマサトも無事だったんで、原因究明は先生達に任せます。僕達は何の役にも立てないですし」

フィリオに続き、マサトも出来る限り明るい声を出す。

「そうですよ! 先生にちゃんと教えてもらったおかげで、僕達、助かったんです。先生には本当に感謝してます」

(それに、フィリオに告白できたし……)

声には出さず、マサトは心の中だけでつぶやいた。ハヤトが二人の手を握って、感謝の意を示す。

「二人とも……有難う。そう言ってくれると、肩の荷が降りるよ。何か分かったら、真っ先に伝えるから。そうだ、忘れてた。これって、君達のものかな」

そういうと、ハヤトがポケットから、一枚のプレートを取り出す。大きな傷が入った、銀色の金属板だ。

「「あっ!」」

マサトとフィリオが同時に声をあげた。二人がお守り代わりに大切にしている、フィリオの両親の形見だ。マサトのものは手元にあるため、フィリオのだろう。

「何処にあったんですか?」

フィリオがプレートを受け取りながら聞いた。

「倉庫の排気ダクトに挟まってたんだ。履歴を確認すると、ちょうどユーレ君達が事故にあった時間と一致してたから、もしかしてと思ってね。大切なものだったの?」

「はい。これ、お父さんとお母さんが乗ってた宇宙機のものなんです」

フィリオが大事そうにプレートを胸に抱く。そのプレートを見て、マサトははっとする。

「先生、そのプレートが挟まって、異物があるっていうエラーが出たんですよね?」

「うん。そうだけど」

「やっぱり……。フィル、俺がお前のピンチに気付いたのって、そのエラーのおかげなんだ。エラーが出て、嫌な予感がしたから、酸素分圧が低下してるのを発見できたんだ」

はっとするフィリオ。その言葉の意味を理解したようだ。

「それって……」

「そう! きっと、フィルのお父さんとお母さんが守ってくれたんだ!」

「マサトっ」

マサトが言い終わると同時に、フィリオが胸に飛び込んできた。フィリオの顔がひくひくと震えているのを感じる。泣いているのだろう。マサトは親友の頭を抱いて、そのまま泣かせてやる。さっきの恩返しだ。

「こんなことって、あるんだな……」

二人を見て、リズがつぶやいた。

こうして彼らの運命は、ゆっくりと、だが確実に転がりだした。いびつな形をしたサイコロに誘われるように……

第二章へつづく

登場人物 =とじる=

空木雅人(ウツギ マサト)

スカイ・ドラゴンの♂16歳。家事が得意な優等生。でも、怖い話はちょっと苦手。基本的には照れ屋さんだが、時には大胆になることも。

フィリオ=ユーレ

エア・ドラゴンの♂16歳。即断即決の司令塔。ただ、私生活がルーズなのが玉に瑕。仲間思いの優しいリーダだけど、怒らせないほうが身のため。

リズ=オルシーニ

ラビットの♂16歳。平穏は壊すためにある!?期待を裏切らない、にぎやかし。だけど、時にはその行動が思わぬ結果を生むことも……

結城悟(ユウキ サトル)

ラビットの♂16歳。仲間に対してもいつも丁寧、親切なメガネ男子。押しが弱いので、色々と勘違いされることがあるみたい。

宿森隼人(シュクモリ ハヤト)

ホワイトウルフの♂28歳。最近、色々とトラブルが重なって、てんてこ舞いのようだ。教官としての仕事より、エンジニアの仕事の方が多いのを嘆いている。

バク

3歳のAI。マサト達とずいぶんと仲良くなり、お兄ちゃんと呼ぶ仲になっている。でも、そのなかに上下関係があることをバクはまだ知らない。