リコネクター

第一話 乗っ取り

2010/3/29

〝リコネクター〟の天瀬光波アマガセ コウハは疲れていた。友人から託された手のかかる少年ルイに、文句ばかりの色狂い恒星間宇宙船ディクタルに、そして儲けがない現状に疲れていた。しかし人類を再び結びつけるという使命とお金のためには休む訳にはいかない。今回の調査は謎の電磁パルスを放つガス惑星の調査だ。

「不味い……」

キャニッシュ犬獣人の青年が、チタン製のコップに入った黒い液体を見つめながらつぶやく。ヤマシロ星系は食事が美味いことで有名なのだが、こと珈琲に関しては当て嵌まらないようだ。苦いばかりで、香りが無い。

青年が顔を上げると、膝につかんばかりに深く頭を下げている、フィリディ猫獣人の少年が目に入る。茶色の毛に覆われた体は小さく、体つきにも幼さが残る。聞くところによると、一応、義務教育は終えているらしい。

青年は、よくもまああんなに腰が曲がるものだと妙に感心しながら、頭を下げたまま答えを待つ少年に声を掛けた。

「ルイ、気にしてないから」

「船長、ほんとにごめんなさい! 僕、あんまり洗濯とかしたこと無いから…… 無くした服はいっぱい働いて返すので、許して下さい!」

船長と呼ばれた青年は、飛燕級恒星間宇宙船ディクタルの指揮系統の頂点に位置している、天瀬光波アマガセ コウハである。最も、この船にはコウハを除くと、先ほどの少年、室月留已ムロツキ ルイと船のAIしか居ないのだが。

「だから、もういいって。最初は誰でもミスするんだから。次やるときに同じミスをしないように気をつけてくれればいいよ。ディック、船外に放出された服は焼却したな?」

〈もうとっくにしてますよ。この優秀な私がまだ対処してないとお思いですか? それにしても船長、もうちょっとルイ君に優しくしてあげてくださいよ。そんな不細工な顔で、不機嫌そうに話したら、誰でも怖がりますよ。がさつな船長と違って、ルイ君は繊細なんですから〉

コウハは、いつも通り気に障る回答を返してくるAIに、うんざりした表情を浮かべる。彼は宇宙船ディクタルに搭載されたAIである。宇宙船のすべてを制御しているため、船自身と言っても間違いではない。非常に優秀なAIではあるが、性格にはかなり難がある。以前雇った乗組員はみな、ディクタルが原因で船を降りてしまった。長く付き合えば、それほど悪い奴ではないのだが、まあ、色々とあったのだ。

とはいえ、ここでディクタルとやりあっても、ルイを困惑させるだけだ。コウハは、出来る限りやさしく見えるように意識する。

「あの服はあんまり好きじゃなかったし、本当に気にしなくていいから。それよりも、飯を作ってくれないか? 昨日の夕食はなかなか良かったから、次も美味いのを頼むぜ」

なかなか爽やかな笑顔が出来た。ディクタルには〝不細工〟などと言われたが、コウハはなかなか精悍な顔つきをしている。硬い毛に守られ、鋭い牙が見え隠れするその顔は、少し威圧的ではあるが、かなりハンサムな部類に入るだろう。年は二十代後半といったところで、黒と白の硬い毛皮を纏う、しっかり鍛え上げられた体からは、エネルギーが満ち溢れている。その一方で、身のこなしには年に似合わない落ち着きが見て取られ、冷静なしたたかさも感じられる。それだけ多くの苦労を重ねてきたのだろう。

「はい!」

ルイがピシッと体を伸ばして、元気の良い返事を返した。褒められたのがよほど嬉しかったのか、今にも泣きそうだった顔をもう綻ばせている。がっしりとしたコウハとは違い、その体は細くしなやかだ。ふわりと広がった尻尾の毛に対し、全身を覆う茶色の毛はやや短めである。

フィリディ特有の滑らかな動きで、司令室を後にするルイを見て、コウハは大きくため息を吐いた。仕事を紹介して貰ったのはいいが、まさか、こんな付属品がついてくるとは思わなかった。

コウハ達が自称している〝リコネクター〟とは、数千年前に恒星間ネットワークが崩壊して以降、小さな世界に引きこもって燻っている人類社会を、ネットワークの再構築をもって活性化することを目的に活動する冒険者達の総称である。――とはあくまでも建前上の話で、実際には、新たな交易ルートや貴重な資源を発見することで得られる、莫大な富を目当てに行動するものが大半を占める。むしろ、一か八かの賭けをしている博徒の集団といったほうが正しいかもしれない。

その賭けに参加するには、恒星間宇宙船という非常に大きな掛け金を用意する必要がある。大富豪の家に生まれたわけでもないコウハが、恒星間宇宙船の中でも最新鋭の飛燕級を手に入れることが出来たのは、ヤマシロ星系でも指折りの一級宇宙船技師であるルイの兄、ショウのおかげである。さらにショウは、最近大当たりを引いておらず、困窮しているコウハを見かねて、仕事の紹介までしてくれたのである。仕事は荷物運びを兼ねた探査という非常に単純なものであり、あまりコウハ好みではないのだが、ディクタルという大飯喰らいを養うには多少の妥協は仕方が無い。

ショウは五人兄弟の長男で、ルイは末っ子らしい。その末っ子は、リコネクターを目指しており、ルイの能力を高く買っているショウは、ぜひ若いうちから弟に経験を積んで欲しいと思っているようなのだ。しかし、父親が猛反対しており、今のままではその希望は叶いそうにない。

ちなみに、コウハ自身はルイの父親の意見に大賛成である。なにも好き好んで、自ら険しい道を進まなくても良いではないか。自分はリコネクターであることに満足しているし、誇りも持っているが、気軽に他人に薦められる職業ではないのは確かだ。得られるものも多いが、その代償になるのは自らの生命かも知れない。それだけならまだしも、他人の生命を脅かすことさえ多々ある。生半可な覚悟でなれるものではないのである。

とはいえショウは、なんとしてでも我が弟にリコネクターになって欲しいと考えているらしい。そこで白羽の矢が立ったのが、コウハである。仕事を紹介する代わりに、ルイに経験を積ましてやってくれというわけだ。

「ディック、あいつのこと、どう思う?」

背もたれに体を預けて、腕をいっぱいに伸ばす。目の前には、互いに交差した巨大なリングが三つ。他世界への扉である。

〈そうですね、今までの人よりは全然良いと思いますよ。少なくとも、船長よりは優秀なんじゃないですか? それに、すっごく可愛いですし〉

「ふーん」

気持ちのこもっていない返事をしながらも、コウハは意外に思った。あのディクタルが他人を褒めるなど、非常に珍しい。ただ、ディクタルはAIの癖に、可愛いもの――特に少年――に目が無いため、少しは割り引いて考えた方が良いかも知れない。

そもそも、何を任せれるか皆目検討もついていない現状では、掃除、洗濯、料理などといった家事しかやらせていないのだ。その家事にしたって、あまり上手ではなさそうだ。今まで両親と暮らしてきたのだから、当たり前と言えば当たり前である。しかし、洗濯物を乾かすために、エアロックから服を放り出すことは流石に無いだろうとコウハは思う。本人は、真空に晒せば一瞬で水分を蒸発させることが出来ると考えたようだが、十分に減圧していなかったため、哀れな服はエアロックを開放した瞬間に吹き飛ばされ、惑星を回る放浪者となってしまった。

最も、デブリを増やすことを気にしたディクタルが直後にレーザで焼却したため、地上の人間の生活を遥か上空から見守るだけという、非常につまらない残りの人生からは開放されたようだが。

それにしても、何故あんな事態になったのだろうか? 徐々に大きくなり、複雑な細部を見せ始めたリングをぼんやりと見つめながら、コウハは考えを巡らす。――何をどう考えても、ルイを止める機会は何度もあったはずだ。

「おい! お前、何でルイを止めなかったんだよ!」

〈変なこと聞きますね。面白かったからに決まってるじゃないですか。それに、ルイ君の困った顔がもう可愛くて、可愛くて……〉

「この馬鹿船が! 無機物の癖に、欲情しやがって!」

近くにあった椅子を思いっきり蹴り飛ばす。椅子は弧をえがいてコンソールに激突した。

〈ちょっと! 私に向かって馬鹿とはなんですか、馬鹿とは! それに、大事な体を乱暴に扱って! 非常に繊細な超精密機械なんですから、丁寧に扱ってくださいってこれだけ言ってるのに……。それに、別に人が何を好きになっても、船長には関係ないじゃないですか! 私のように高度なAIともなると、他人を愛せるんです〉

ディクタルが感情を込めた声を出す。その声は妙にリアルで、吐息まで感じそうだ。コウハは、毛を逆立てて不快そうに体を震わす。

「お前は人じゃねーよっ! それに、ポンコツ機械の分際で愛とか言うな! 気持ち悪い!」

〈人を一度も愛したことも無い、悲しい船長なんかに言われたくありません!〉

二人が何時ものように、罵倒の応酬を繰り返していると、司令室のドアが静かに開放された。

「……あっ、あの……」

今にも消え入りそうな声である。

〈そんなことだから、いつまでたっても貧乏なんですよ、船長は!〉

「なに言ってんだ! お前が変な儲け話に食いついて、大損したからだろ! AIの癖に簡単に騙されやがって!」

ルイがそっとコウハに近づき、ゆっくりと手を上げて途中で止める。どうやら、声を掛けたものかどうか迷っているらしい。ふさふさの尻尾が不安そうに揺れる。

「あのっ!」

「うわっ!」

いきなり肩を強く叩かれたコウハが、身構えながら振り返る。勇気を出したのは良かったものの、力が入りすぎてしまったらしい。

「ごっ、ごめん……なさい……」

「なんだ、ルイか」

しゅんとなった少年を、困惑した表情で見つめる。捻くれた恒星船や、ガサツな性格のリコネクター相手であれば馴れているが、ルイのような繊細な人間に対してはどのように接すれば良いのか分からない。危険に対する敏感さが重要なリコネクターには、ある種の繊細さが必要である。かといって、繊細すぎる人間はそもそも冒険には向いていない。

「あの……ご飯の準備、出来ましたぁ」

「そっ、そうか? じゃあ、いただこっかな」

ぎこちない笑みを浮かべ、ドアへと歩き出す。ルイは不安げな表情を浮かべたまま、その後を追った。

〈下手くそ……〉

コウハは、船がぼそりと音を発するのを聞いたような気がした。

お世辞にも美味しいとは言えない食事を終えたあと、二人は司令室のメイン・コンソールの前に立っていた。コンソール上には、ヤマシロ星系を示す山岳地図のような三次元映像が浮かんでいる。ただし、その映像にあるのは山ではなく谷である。中央にある、恒星ヤマシロが深い谷を作っており、その周囲を回る惑星も浅い谷を形成する。映像に重ねられた等高線は、重力ポテンシャルを表しているようだ。

ディクタルがいる位置を示す輝点は恒星系の端のほうに位置している。その辺りでは、恒星が作る坂は緩やかになり、ほぼ平坦である。しかしその輝点の直ぐ傍には、急激な落ち込みがあり、そのまま映像の外まで穴が続いている。その谷は非常に細長く、小さな針の先で開けた穴のようだ。

コウハが、その穴を指差す。

「これが何かは分かってるよな?」

「……MBPですよね?」

「そうだ。流石にそれくらいは勉強してるみたいだな」

MBPとは、マイクロブラックホール港(Micro Black hole Port)の略称である。他の恒星への出入り口となる巨大構造物である。

コウハは、ルイが一瞬作った〝間〟に失望が含まれていたことを見てとった。初等教育の生徒でも知っているようなことを聞かれて、プライドを傷つけてしまったのだろう。質問にも気を付けた方がよさそうだ。

「じゃあ、普通の宇宙船がどうやってジャンプするかは知ってるな?」

今度はそこそこ骨のある質問だ。これならおそらく大丈夫だと思う。

「はい! まずは、もつれ合った物質をブラックホールの向こうとこっちで作ります。その物質を作る方法は――」

〝もつれ合った物質〟とは、片方の状態を〝観測〟すると、もう片方の状態が確定するようになった物質である。この観測と確定――収束とも呼ぶ――はどれだけ両者が離れていても瞬時に起こり、間に何があっても無関係であるという性質を持つ。これだけ書けば、直ぐにでも超光速移動が出来そうだが、残念ながら、〝観測〟したことを相手に伝えないと相手が収束してくれないのだ。それを伝えるためには、光と同じ速度で地道に通信するしかない。それでは結局、光速の壁は打ち破れない。

それを解決したのが、今は無き恒星間ネットワークの中心地であった、地球の偉大な科学者達である。マイクロブラックホールを入り口としたワームホールを利用することで、光速の壁を破壊したのだ。ワームホールはいわば宇宙の抜け道である。ただ、そのまま通ろうとすると、普通の物質は入る前に破壊されてしまう。そこで〝もつれ合った物質〟の出番である。ブラックホールの入口と出口にそれぞれ〝もつれ合った物質〟を置いておき、〝観測〟したことをワームホールを通じて伝えれば、問題なく超光速移動が完成するのだ。

ただし、二つ問題がある。一つ目は、どうやって〝もつれ合った物質〟を作るか。物質というのは、非常に他人の目が気になるようで、周りの物質がちょっかいを出すと、直ぐに〝もつれ合い〟を止めてしまうのだ。それを避けるには、知らん振りをするのが一番である。そのための装置が、技術者の血と汗と涙の結晶〝SLMFLY(Synchronized and Lumped Material Fluctuation Loop Yielder:同期凝集物質波環発生器)〟である。SLMFLYを使うことで、〝もつれ合った物質〟を自由に作れるようになる。MBPにはSLMFLYが設置され、通信路となるブラックホールも、この装置で維持されている。

もう一つの問題は、〝観測〟したという情報を受け取るには、当然ながら受け取り手が必要であるという点だ。しかも、通り道であるワームホールの出口も用意してやらないといけない。つまり、レールが引かれてあるところでしか使えない方法なのだ。これは、人類が踏み入れたことの無い未知の世界には、自由に行けない事を意味している。

「――これがネットワークが崩壊する前まで使われてたジャンプ方法です。……これで、あってますよね?」

「正解! お前、結構凄いな」

ルイの模範的な回答に少し感心する。詳しいことは理解できていないだろうが、一生懸命勉強してきたことは確かなようだ。

「この船のジャンプ方法はどうだ?」

「もちろん知ってますよ!」

尻尾を立てながら、ルイが興奮気味に回答し始めた。宇宙船がこの新たなジャンプに対応してるかどうかで、リコネクターを名乗れるかどうかが決まるのだ。リコネクターを目指すルイにとっては、熱が入って当たり前の問題である。

〝収束〟を観測情報の受信に頼っている今までのジャンプ方法の欠点は、送信側、受信側がどちらも十分に準備をしないといけない点である。つまり、片方がサボタージュすれば、ジャンプできないのだ。

地球がハブとしての役割を突然放棄した後も、MBPで繋がったネットワークは残っていた。しかし、急激なネットワークの拡張に伴い、星系間の格差がずいぶんと広がっていたようで、地球という調停役がいなくなると、徐々にそれが表面化していった。そしてある時、一部の星系が長年搾取されてきたことに不満を爆発させ、他の星系を略奪する事件が発生する。記録にはほとんど残ってないが、かなり残虐な行為が行われたらしい。しかし、それに対する防御は簡単である。単にMBPを閉鎖すればよい。互いに疑心暗鬼に陥っていた星系は雪崩式にMBPを閉鎖し、親密な関係を持つ星系以外との接触を絶っていった。こうして、ネットワークが一気に崩壊してしまったのだ。

その状況を一変させたのが、高い工業力を持つヤマシロ星系である。ヤマシロ星系のある企業が、MBPに頼らないジャンプ方法を発明したのだ。そのポイントは、どうやって〝収束〟させるかである。今までは、〝観測〟したことをしっかり伝えて初めてジャンプできた。これはいわば正規ルートである。目的地までの切符をきちんと買ってから電車に乗った場合だ。そこで企業に勤める研究者は考えた。さり気ない態度でこっそり乗れば、無賃乗車できるのではと。そこで開発されたのが〝CIRGNAI(Convoluting Information for Radicalized Gap Navigation by using AI:AIによるラジカル空間航行のための情報畳み込み)〟航法である。

無賃乗車がばれた場合には、なんとか自分に非がないことを駅員に納得させる必要がある。それをAIに任せるたのである。AIに莫大な情報を詰め込んでおき、宇宙空間を半ば無理矢理納得させて〝収束〟するのである。CIRGNAI航法を用いることで、相手の協力が無くてもジャンプできるようになる。もちろん、〝もつれ合った物質〟を作るための通路としてワームホールが必要だが、通路さえあれば向こうの事情にお構い無しにジャンプできる。このCIRGNAIを駆使して接触を絶った星系へ向かい、再び交流を復活させる者のことを〝リコネクター〟と呼んでいるのである。

CIRGNAIを行うためには、非常に大規模なAIが必要であるが、情報を詰め込みすぎた結果、性格が歪んでしまうことが良くある。ディクタルがいい例だ。逆に言えば、歪んでいるほど優秀なAIだとも言える。

リコネクターに対する並々ならぬ憧れを端々に織り交ぜながら、ルイが言葉を切った。最初は、単に教科書を丸暗記しただけかと思っていたコウハだが、その説明はきちんと順序立てられており、理解した上で記憶しているようだ。かなり優秀なのかもしれない。少なくとも、同学年ではトップクラスだろう。最も、大事なのはそれをどう応用していくかなのだが。

「……お前、年の割りに詳しいな」

「はい! ショウ兄ちゃんが僕によく船長とディクタルさんのこと話してくれてたんです。それがすっごく楽しそうで、格好良くて、この船に乗るのがずっと夢だったんです。その夢が叶ったときに備えて、勉強もいっぱいしました。だから今、その夢が叶って幸せなんです! 乗せてくれて有難うございました!」

コウハはその純粋な思いに、多少当てられた様子である。普段、すさんだ生活を送っているため、ルイの純粋さはまぶしすぎる。

〈船長、ヤマシロMBPから通信入ってますよ。SLMFLY起動の確認じゃないですか?〉

「おう。今見てみるから、ちょっと待ってろ」

CIRGNAI航法を使うにしろ、SLMFLYによってもつれ合った状態になる必要がある点は同じだ。ジャンプ先にMBPがあるとは限らないため、飛燕級恒星船は独自のSLMFLYを搭載しているが、効率面ではMBPに設けられたSLMFLYを利用した方がよい。また、恒星船に搭載されたSLMFLYには、特有の問題もある。

「ルイ、ジャンプ時に重要な確認事項はなんだ?」

「ええっと、まずは目的地ですよね? あとは……質量、ですか?」

「そうだ。じゃあ、その質量を確認してみろ」

突然出された難題に、ルイは目を泳がせ、ヒントを探し求めるかのように、耳を色々な方向に動かす。答えに窮したフィリディの少年は、コンソールを触る。もちろん、まだ船に慣れていないルイが、求める情報をそう簡単に探し出せる訳は無い。

「ディック、現在の質量を報告しろ」

〈船長も人が悪いですね〉

少し落ち込んだ表情のルイの前に、現在の実効質量が表示された。

「ルイ、分からないことがあったら、詳しい奴に聞く。それが一番楽だ。覚えとけ」

「はい! 分かりました、船長!」

感銘をうけた様子で自分を見つめるルイを見て、コウハは少し格好つけすぎたかなと反省した。

「実効質量及び投入エネルギー量をMBPに送信。目的地はUCA201。CIRGNAI航法によるジャンプを行う」

ワザと大き目の声でディクタルへ指示する。普段はディクタルにまかせっきりなのだが、それでは示しが付かない。

〈情報送信完了。SLMFLY起動後、約五百秒で全質量もつれ合い完了予定。その後二ミリ秒でCIRGNAIによる収束を終えます〉

「よし、全工程を許可する。ジャンプしろ」

その言葉に、ルイは少し身を硬くする。何しろ、初めての超光速移動なのだ。緊張しない方がおかしい。コウハは、そのルイに優しく声を掛けた。

「ルイ、心配するなって。CIRGNAI航法は失敗してもジャンプできないだけだから。もっとリラックスしていこうぜ」

少年はこくりと頷いたが、その表情はまだ硬い。

しばしの間、無言がその場を支配した。突然、ルイの目の前から複雑怪奇なリングが消え、代わりにまだら模様の巨大ガス惑星が現れる。その表面には目玉のような大斑点が、幾つも渦巻いている。

「現在位置確認」

〈星図と照合。UCA201星系に間違いありません。ワームホールからの距離は四百九十八光秒〉

「ディック、ちょっと近すぎないか?」

〈仕方ないじゃないですか。辺境すぎて、手ごろな質量が見当たらなかったんです〉

ジャンプをするには被転送物と同じ実効質量を持つ物質が、転送先に必要なのである。ただし、それが同じ原子である必要は無い。要はエネルギー量が等しければ良いのだ。

コンソールに目をやりながら、コウハがつぶやく。

「まあ、確かに田舎だな。どうだった? 初体験は?」

「なんか……凄くあっさりしてましたね」

残念そうなその口調に、コウハは苦笑した。確かに、量子もつれあいを使ったジャンプは非常に地味である。動きも無ければ音も無い。気が付いたころには、もうジャンプは終わっているのだ。通常空間の移動に利用する、反陽子エンジンや核融合パルスの方がよっぽど派手である。

「よし! じゃあ、早速仕事にするか。こんな辺鄙なとこにいても面白くないしな。まずは、パッシブセンサで情報収集としよう。ディック、UCA201‐V(第五惑星)のデータ見せてくれ。そうだな……電磁パルスの発生率をマッピングしてくれ」

〈分かりました。この辺がよさそうですね〉

コウハ達の目の前に第五惑星の全体像が表示され、表面に複数ある大斑点の一つが拡大されてゆく。アーモンド形のつぶらな瞳をしたその渦の表面に、パルスが観測された場所が、回数別に色分けさて重ねられた。複雑な網の目模様が浮かんでくる。パルスはランダムに発生しているわけではなく、ある規則性を持っているようだ。

「あっ!」

その映像を見ていたルイが大きな声を上げる。

「どうした?」

「いえ、あの、なんかニューロンに似てるなって思って……」

ニューロンとは、動物が持っている、情報処理を行うための神経細胞である。乱暴に言えば、脳にある細胞のことである。ルイは、目の前の網目が、ニューロンが作るネットワークに似ていると言いたい様だ。

「ほう、いいとこ付いてるな」

〈流石ルイ君! 何にも気付かなかった船長とは大違いじゃないですか〉

ルイが目を輝かせる。尻尾を振って嬉しそうだ。

「うるせ! お前も同じだろ!」

〈私は知識が豊富すぎて、こういうのには向いてないんです。知らなかっただけの船長と一緒にしないで下さい〉

ショウに依頼されたとき、同じような図面を見せられたが、コウハもディクタルも正解を言われるまで何も思いつかなかったのだ。何か言い返そうとしたコウハだが、その口を途中で閉じる。こんなことを続けていても、時間の無駄だ。

「まあいい。ルイには言ってなかったが、これが生命活動の証拠じゃないかって話題になってるらしいんだ。それを調査するのが、俺達の仕事ってワケ」

コウハが依頼された仕事は、簡単に言うと、この第五惑星へのセンシング人工衛星の設置と第五惑星の調査である。この第五惑星は巨大なガス惑星で、太陽系の木星に良く似ている。しかし、大きく違う点が一つ。大斑点がある場所から、度々特徴的な電磁パルスが放出されているのだ。当初は放電現象の結果だろうと思われており、特に注目されることは無かった。しかし最近、あるリコネクターがその放電現象にある規則性があることを発見したのだ。そのニュースは、ガス惑星で初の知的生物発見かと、ヤマシロ星系の宇宙生物学者達を興奮させた。そしてさらに、もう一つのニュースが学者を沸き立たせることになる。

「さてと。じゃあ、もう一個の方はどうだ?」

〈ここからの光学観測だと、揺らぎが多すぎて良く分からないと思いますよ?〉

ディクタルがガス惑星の周囲を回る衛星を拡大する。その衛星は青と緑に覆われていた。いわゆる地球型の天体である。確かに、地表はぼやけてしまって良く見えない。

「綺麗ですね、この星。ここって、誰も住んでいないんですか?」

ルイが指差した衛星が、そのニュースの震源地である。

「ああ。今のところ、人類は住んでいない。ちなみに、この星系で地球産の生き物が住めそうなのはここだけだ」

「ええっ! ジャンプできたってことは、誰かが住んでないとおかしい気がするんですけど……。もしかしてディクタルさんって、ホントに自由にジャンプできちゃうとか?」

〈はい、そうですよ。私の能力を持ってすれば、これくらい朝飯前です〉

ディクタルがさも当然だという口調で答えを返す。その回答に、ルイは心底驚いた顔をした。目を大きく見開き、その様子はまるで、究極の秘密の答えを偶然にも見つけてしまった旅人のようだ。コウハはたまらず口を挟む。

「ルイ、コイツの言うことをまともに考えたら駄目だ。そんなこと、出来るわけ無いだろ。確かに、お前の疑問も当然だけどな」

いくらCIRGNAIによるジャンプでも、通路となるワームホールは必要である。そして、ワームホールが存在するということは、そこに人類が足を踏み入れたという証拠なのである。

「ここにも、地球からの幡種船は着いたみたいなんだ。その証拠に、あの星には地球出身の動植物が暮らしている。ただ、人類が生活した証拠は何一つ発見されていない。何かが原因で、人類だけが上手く再生されなかったらしいな。まあ、ちゃんと調査した訳じゃないから、人が隠れ住んでる可能性はある。少なくとも、MBPを作れるほどの生き物は居ないってことだ」

CIRGNAI航法が確立する以前は、ジャンプのために出発地、到着地の双方でMBPを整備する必要があることは前に述べたとおりである。では、ネットワークをどうやって未知の世界へと広げていったのか? その問いへの回答が〝幡種船〟である。幡種船はその名の通り、人類を含めた動植物のDNA情報を大量に積み込んだ船のことである。大昔の地球人は、DNAに加えて、ブラックホールを維持するためのSLMFLYと人類を育てるためのAIをこの幡種船に積み込んで、いたるところにばら撒いたのだ。つまり、銀河系へ精液をぶちまけたというわけである。

ヤマシロ星系のように、不幸にも妊娠した恒星系もあるのだが、このUCA201のように、寸でのところで避妊に成功した星系も多数存在する。そういった場所でも、幡種船に保持されているマイクロブラックホールは存在するので、CIRGNAIがあればジャンプは出来るのである。

「そういうことだから、この馬鹿船の言うことは真っ赤な嘘だってことだ」

今度は、あんぐりと口を開ける少年。こいつの表情はずっと見ていても飽きないなとコウハは思った。

〈まあ、少しは誇張しましたけど。私の素晴らしい能力があってこそのジャンプなんですから。そんなに間違ってないですよね、ルイ君?〉

「はあ、そうですね」

流石に、戸惑った表情を見せる。ようやく、ディクタルの本性に気がついてきたらしい。コウハは、一人と一隻のやり取りを見て、これから大変だなと小さくため息を吐いた。

「まあいい。話を戻すぞ。動物だけが暮らしているこの星。こんなことはたまにあるから、それだけなら注目されなかったんだが、どうもその動物が奇妙なんだ。いや、動物だけじゃなくて、植物も、だな」

「奇妙って、どういうことなんですか?」

興味津々な様子でルイが話しに喰い付いてくる。神秘の謎の答えを追い求めるという、ようやく訪れたリコネクターらしい展開に、心を躍らせているらしい。

「それらの動植物が、ぐちゃぐちゃに混じってるんだ。狐っぽい生き物が居たかと思うとそれが空を飛んでいたり、光合成をする緑色の鯨がいたり。まあ、それだけなら役にも立ちそうだけど、流石に杉の木にエラはいらないだろ?」

「へぇ……それは確かに変ですね。幡種船のAIが誤作動したとかですか?」

ルイの問いに、コウハは頭を振る。

「AIってやつは変なのが多いけど、いくらなんでもそこまで混沌とした状況にはしないだろうと思うぞ。まあ、俺達の祖先はそうやって生まれたらしいから、絶対に無いとはいえないけどな」

硬い毛に覆われている自分の耳を指差す。キャニッシュやフィリディのような獣人は、人類を再生するときに獣の遺伝子を混入させたことで生まれた。ただし、これは人類と獣間でのみ行われ、獣同士で遺伝子が交じり合うということは無かったらしい。一説によると、AIを設計した人間が、故意にこのようなバグを入れたのではないかといわれている。そのAIはほとんど全ての幡種船に搭載されていたため、今では純粋な人間の方が珍しくなっているのである。

「それに、そんなおかしな動物は、自然淘汰で消えていくはずだろ? でも何故かこの星では、どう考えても生き残れなさそうな動物が大地を闊歩してるんだ。知性を持ってるかも知れない大斑点と、奇妙な特徴を持つ動植物。それが、同じガス惑星の近くで起こってるんだから、誰でも気になるわな」

「じゃあ、それを解明するのが、僕達のやることなんですね!」

ドンとコンソールに手をついて、立ち上がるルイ。その目は希望に満ち溢れている。ある程度予想はしていたが、思った以上の反応だ。

「まあ、そうだと言えたら格好良いんだろうけどな。残念ながら、それは俺達の専門外だ。その謎を解明するのは、あくまでも専門家。俺達の仕事はその手伝いをすることだ。調査用の人工衛星を設置してな。どうだ? 意外と地味だろ、リコネクターって」

なるべくルイの憧れを殺ぐような話し方をする。正直なところ、ルイのように純粋で将来有望な少年には、リコネクターのような生き方をして欲しくない。

「いえ! 船長の働きがあるからこそ、謎の解明に繋がる訳ですよね? 目立たない仕事でも、その重要さを理解して依頼を受けるなんて、やっぱり船長は凄いです!」

どうやらその程度の話では、長年思い続けて来た夢は壊れないらしい。尊敬してくれるのは有難いが、ルイの自分への感情は既に妄信に近いと感じることがある。コウハは、ショウが一体何を弟に吹き込んだのだろうかといぶかしんだ。そして、徐々にそれを正していこうと、心の中に書き記す。

「ディック、センシング衛星を軌道に投入しろ」

〈まったく、AI使いが荒い人ですね。帰ったら新しいラジエータ買ってくださいよ。最近調子悪いんですから〉

「ああ、分かったから、早くしろ!」

コウハは牙をむき出しにして、なかなか言うことを聞かない船を怒鳴りつける。

〈言いましたね。絶対買って下さいよ。ルイ君が証人ですからね〉

渋々といった様子で、ようやく人工衛星がガス惑星を周回する軌道に投入される。奇妙な動物達が住む、衛星の周回軌道にも同じタイプの人工衛星を放り込む。これで、少しは詳しいことが分かるはずだ。コウハが依頼された仕事は完了したが、新たな発見をすれば追加報酬が期待できる。

数日の間、コウハたちはセンシング衛星から送られてくるデータを分析していた。そこそこデータは集まってきたが、そこに何かを見出すことはできないでいる。専門家であれば色々と発見もあるのだろうが、素人にはただの数字の羅列でしかない。そろそろコウハが飽きてきたある日の朝、動植物の分布を見ていたルイが首を捻る。

「船長、なんか分布がおかしくないですか?」

「ん? そうか?」

カラフルに色づけされた地図をじっと見つめる。しかし、コウハには何も変化があるようには思えなかった。いつも通りの何の面白みも無いただの図だ。

〈ルイ君、何処がおかしいんですか?〉

「ええっと、上手くいえないんですけど……。今までとちょっと違うような気がしたんです」

「ディック、時系列に沿ってアニメーションしてくれ」

地図上の輝点は、動植物の種類ごとに色分けされており、どの場所にどのような生物が固まっているのかが分かるようになっている。時間が経過することによって、その輝点は刻々と変化してゆくが、動きは緩慢で、ルイが言う変化が何処なのか皆目検討がつかない。

「船長、前に地域ごとに動植物の種類が偏っているのが面白いって言ってましたよね?」

視線を上に上げて、思い出す。

「……ああ、そういやそうだったな。最初はそこに何か秘密があるかもって思ったが、環境が違えば植生が変わるのは当たり前だからな。それがどうかしたのか?」

「確かに、環境が違えば、そこにいる動物の種類は変わると思うんです。でも、この辺とかこの辺って、大陸の奥地と海岸線沿いで全く違う場所なのに、良く似てると思いませんか? そうですね……この二つが絵だと思って見てみて下さい」

ディクタルがフレームを分け、ルイが指差した二箇所を拡大して並べた。言われて見れば、両者はよく似ている。ある一つの種だけに着目すれば違っているように見えるが、全体としての傾向――生息している種とその割合――はよく一致しているのだ。

「ふむ。言われて見れば、同じ画家が描いた絵みたいだな。そういや、こことここも似てるな。でも、ここは全然違う」

視点を変えてみると、コウハの目にも分布図の特徴が見えてきた。真相に一歩近づいたような気がして、胸が高鳴ってくる。これは、何か収穫が期待できるかも知れない。

「この星の生き物は、グループ毎にまとまって動いているのかなって思ったんです。だから、そのグループがどう動くのかなってことに注目してたんですけど、最近はその動きが違うように見えたんです。ディクタルさん、グループごとに分けて表示させることって出来ますか? 多分、途中でグループ分けし難い場所が出てくると思うんですけど……」

〈ええっと、ちょっと待ってください。特徴抽出には時間が掛かるんで……。はい、こんな感じでどうですか?〉

実際には、ほとんど待ち時間無くグループの境界線が引かれた。このような大雑把な指示でも対応できるのが、クラスA以上のAIの持ち味である。ディクタルはクラスAのさらに上位、クラスSに属している。

コウハは手を動かして、分布図の時間を今日まで進めてみた。五日ほど前まではグループの境がはっきり分かったのに、ここ二、三日は一部の地域でその境界がぼやけているようだ。

ふと、今朝の出来事が、頭に引っかかった。

「ディック、そういやお前、今朝はやけにノイズが多いとかいってたよな? 原因は何か分かるか?」

〈はい? ノイズの原因ですか? 多分、フラックスチューブに入ったからだと思いますよ。耳障りなので、今はその外にいますけど〉

フラックスチューブとは、恒星からの太陽風によって出来る、衛星とその主星であるガス惑星を繋ぐ、強力な磁力線の帯である。その帯を伝って電流が流れるため、ノイズが発生したのだ。

「そのフラックスチューブの先端をこの分布図に重ねてくれるか?」

コウハの目つきが、いつに無く鋭くなる。これは本当に、追加報酬をゲットできるチャンスかも知れない。ディクタルの維持に掛かる費用を考えると、基本報酬だけでは直ぐに底を突いてしまう。

「あっ!」

ルイが小さな声を上げて、コウハのほうを見る。にんまりとした笑顔を浮かべて、コウハは頷いた。大きな牙がきらりと輝く。

「やっぱり。チューブの端とこのぼやけた場所が一致してる。しかも、もう一方の端は大斑点だぜ。これ、絶対関係あるだろ? 良くやった、ルイ! これで、科学者連中からたんまり報酬もらえるぞ!」

大きな手で、ルイの頭をごしごしと撫でてやる。小さな子供のような扱いを受けて少し恥ずかしそうだが、尻尾は嬉しそうに揺れていた。

「そうだ! チューブの中にもう一回入れないか? 大斑点とこのぼやけが関係してるなら、チューブを何かが伝ってるはずだろ? 入ってみようぜ!」

〈ええっ! 嫌ですよ。汚れちゃうじゃないですか。センシング衛星が通過するまで待ちましょうよ〉

「いつまで待たないといけないんだよ。タイミングよく交差するまで待ってたら、一週間は掛かるぞ。報酬アップしたら、再塗装くらいいくらでもしてやるから、言うこと聞け!」

〈もう……仕方ないですね。こんなことなら、リモート探査プローブを注文しておくのでしたよ〉

渋々ながら、ディクタルは指示に従う。船の癖に、なぜか身だしなみを気にしているようなのだ。そこを突けば、割とあっさり態度を翻すことをコウハは良く知っている。

ディクタルの背後で、青白い光が尾を引いていた。星系内の移動には、よく核融合パルスエンジンを使用するのだが、今回は電磁のノイズが及ぼす影響を考え、比較的低ノイズの電気推進で接近する。

「どうだ、ディック? 何か分かりそうか?」

〈ちょっと待ってください。電磁界に何か特徴がないか調べてますから〉

コウハは横にいる少年を目を向けた。いつの間にか、オレンジジュースを持ち出して啜っている。最初は頼りない奴を押し付けられてしまったと思ったが、その評価は間違いだったようだ。物事を良く見ており、洞察力も鋭い。ショウが言うように、経験を積めば良いリコネクターになるかも知れない。それに、ルイが来てから自分も妙に気分が明るくなったような気がする。非常識な船と二人旅をするより、今のままの方が良いのかも知れない。

しかも、ルイはなかなか可愛いときている。

(いや、待て。俺は何を考えているんだ?)

コウハは首を振り、最後の言葉を取り消す。ルイを見ていると、こんなことがよく頭に浮かぶ。自分もずいぶんディクタルに毒されたのかもしれない。

「まだか?」

〈ほお……これは……〉

「どうなんだ? 何か見つかったのか?」

〈いえ、何でもないです。ちょっとノイズが多いので、処理に専念しますね。邪魔しないで下さいよ〉

その回答に、コウハは眉をひそめる。ディクタルの様子がどうもおかしい。明らかに何かをたくらんでいるときの対応だ。

「おい馬鹿! 何を考えてるのか知らんが、今すぐ止めろ!」

船からの反応はない。今までの長い付き合いから、ディクタルが人間に対して害意を持っていないことははっきりしている。このまま放って置いても、危険なことはしないだろう。しかし、その結果が不快なものになることもほぼ確実だ。

――カラン

どう対処しようか迷っていると、コウハの横で何かが落ちる音が聞こえた。音がした方を振り返る。床に転がったコップと、前かがみになって胸を押さえているルイの姿。ディクタルの件はひとまず棚に上げ、少年に近づいた。その顔を覗き込むと、荒く息をする音が聞こえる。

「どうした? 調子、悪いのか?」

「なんだか、突然胸が苦しくなって……」

その時、特徴のある匂いが、コウハの鼻をついた。普通の人間ならまず気付かないが、匂いに敏感なキャニッシュにははっきりと分かる。その匂いの意味するところに、顔をしかめる。これはディクタルが関係しているに違いない。

「おい! ルイに何をした!?」

〈私は何もしてませんよ〉

あやしい……

「でも、おかしいだろ! どうなってんだ!」

〈船長ならもう分かってるでしょ。生理現象ですよ。生理現象〉

コウハは船に向かって、思いっきり悪態を付きたい衝動に駆られた。しかし、思いとどまる。今は、ルイの看病が先決だ。

「ルイ。お前、発情しているな?」

コウハやルイを含めた獣人たちには、効果は弱いながらも、性フェロモンが存在する。今、ルイから漂ってくるのは、この性フェロモンの匂いなのである。コウハは屈んだ少年の体を起こし、その下腹部を確認する。

「やめて!」

「恥ずかしがるな。男なら良くあることだ。お前もその年なら良くあるだろ?」

「船長ぉ……」

ルイが泣きそうな顔を見て、少しダイレクトすぎたと反省する。性に敏感な思春期の少年に、恥ずかしがるなと言っても無理だろう。

「ルイ、心配するな。どうせこの馬鹿船の仕業だ」

吐き捨てるように言う。反論が無いのが、なによりの証拠である。

「ほら、一度部屋へ戻れ。どうすればいいかは分かるだろ? 何なら、手伝ってやろうか?」

少しでも安心させようと、冗談めかして言う。独りになれば、自分で処理できるだろう。ルイの手をとり、立たせようとしたその時、ようやく聞き取れるほどの、小さな声が聞こえた。

「……船長、手伝って貰っても、いいですか?」

コウハは一瞬凍りつく。聞き間違いかも知れない。

「なん……だって?」

「手伝って……下さい……」

自分の手が、ぎゅっと握られる。目の前には、目を瞑って苦しそうに息をする少年。コウハは、自分がその姿に興奮を覚えていることに戸惑った。ルイが放つ性フェロモンがその原因だろうか? 獣人の性フェロモンは男女の区別無く効果を発揮し、興奮を覚えると自然に分泌される。しかし、それがすぐさま他人の性的興奮を引き起こすかというと、そんなことはない。やはり自分の今の状態は、他に何か原因がありそうだ。

「……すいません。変なこと言って。僕、部屋へ帰ります」

ルイが駆け出そうとする。コウハはその腕をしっかりと掴み、引き止めた。このまま行かせては、この少年を傷つけてしまう。それに……自分も納まらない。

「待て」

そのまま強引に引き寄せ、年齢の割りに小さな体を背中から抱きしめる。コウハの手がシャツ中に侵入し、腹を優しく撫でる。さらさらとした毛皮の感触が気持ち良い。

「どうだ? 嫌か?」

自分を見上げる潤んだ瞳が、その問いを否定する。コウハは胸に手をやり、ゆっくりと愛撫を続ける。徐々にルイの息遣いが荒くなり、小さな乳首も感触で分かるくらい立ってきている。皮膚が露出した耳の中を見ると、真っ赤に高潮していた。

その反応に自らの興奮を高める一方、自分を見つめる冷静な部分が、自分の意思決定に何者かが干渉していると警告を発する。

「あうぅ、船長ぉ」

ルイがコウハの頑丈な腕に頭を預ける。その艶かしい声に、ささいな警告は無視された。すっかり力が抜けたルイの服を脱がす。痩せて見えるが、筋肉はしっかりと付いているようだ。フィリディらしい綺麗なよく締まった体。

「ルイ、触るぞ?」

返事を待たず、涎を垂らす硬直を手の平で包み込む。そして、痛みを与えないように、ゆっくりと前後させた。ルイがビクンと体を震わし、前屈する。おそらく、他人に触られるのは初めてなのだろう。自分も、まさか同性の性器を愛撫するとは思わなかった。しかも、親友の弟である、まだ純粋な少年のものを。

「ああっ!」

「苦しかったら、言えよ」

――グチュ! グチュ!

コウハは前屈みになったルイの背にのしかかり、一気にその猛りを扱き上げた。手が動くたびにルイの口から甘い吐息が洩れ、床には快感のしるしがぽたぽたと零れ落ちる。ルイの体を倒れないように支えている手で、胸の突起を刺激する。

「にゃう……そこ、気持ち、いいです……」

自分の手の中で踊る少年を見ていると、コウハの中に悪戯心が芽生えてくる。ルイの粘液でぐっしょり濡れた手を、尻尾の付け根へと持っていく。尻尾を優しく撫でた後、谷の奥へたどり着く。

「なに……するんですか?」

不浄の部分を触れられ、戸惑いの声を出すルイ。

「心配するな。もっと気持ちよくしてやるから」

――ヌプッ

コウハが力を入れると、指が窄まりに吸い込まれる。狭い肛門を抜けると、熱い粘膜が絡みつく。

「やめて! そんなとこ、汚いですよぉ」

抗議には耳を貸さず、粘膜を傷つけないように気をつけながら、ゆっくりと指を進める。胡桃大の肉塊を確認し、指の腹で強く押す。

「にゃふうっ!」

ルイが一際大きな声をあげ、肺の空気を吐き出す。その足はがくがくと震え、支えが無ければ立っていられないだろう。

「気持ちいいだろ?」

コウハがピンと立ったルイの耳をそっと噛み、息を吹きかけた。根元まで挿し込んだ指をゆっくりと引き抜き、今度は入り口付近を責める。指の抜き挿しと同期して、ルイの口から熱い吐息が洩れる。コウハの指を覆う硬い毛が、敏感な粘膜を刺激しているのだろう。しなやかな尻尾が、甘えるようにコウハの腿に絡みつく。

「ルイ、しっかり立ってろよ」

ルイの体を反らし、自分の体へもたれ掛けさせる。今までその体を支えていた腕を離して、ビクビクと脈動する雄へと回した。そして、強めに掴む。

――ジュッ! ジュプ! ジュプ!

前後の手を、両方同時に動かす。

「にゃっ! にゃっ! せんちょっ!」

コウハの手の中の猛りがビクンと震え、後ろの窄まりがぎゅっと締まる。初めて他人に触られた上、前と後ろから責められたとなると、とても耐えられたものではないのだろう。折れそうなほど体が反り返る。ルイはあっという間に絶頂付近まで追いやられたようだった。しゃがみこもうとするルイを膝で強引に立たせ、容赦なく果てるまで責め立てる。

「ああっ! イッちゃう! イッちゃいますっ!」

「よし、イけ!」

コウハが指をズブリと根元まで押し込んだその時、

――ビュビュッ! ビュルル! 

ルイの先端から白濁液がほとばしり、床面を汚した。ゲル状の精液の一部が、コウハの指に絡みつく。ゆっくりと中に入れた指を抜き取り、肩で息をするルイを床に座らせる。

ルイの体液に濡れる自分の指を見て、コウハは後悔の念に襲われていた。行為の最中には、あまりにも夢中になっていて意識を向けられなかったが、今さっき自分がやったことは常軌を逸しているとしか思えない。何が自分をそうさせてしまったのだろうか?

コウハが床に座りながら思案に耽っていると、息を整えたルイが擦り寄ってくる。

「……ルイ、落ち着いたか?」

「はい。船長、有難うございます……」

その瞳は、まだ熱に浮かされている。異常ともいえるあの興奮は、いまだ収まっていないようだ。ルイがコウハの手をそっと掴み、自分の出した精液がまとわり付く指を口に含む。時間をかけてしゃぶった後、指を解放する。

「船長……ごめんなさい。汚してしまって」

「お前……まだ……」

コウハが言い終らない内に、熱のこもった声が言葉を盗る。コウハに触れるほど近づいてきたルイの顔で、目の前がいっぱいになる。

「僕、船長にお返しがしたいんです。船長も苦しそうだから……」

ルイの手が大きくなったコウハの怒棒に触れた。

「止めろ! ルイ!」

自分の衣服を脱がそうとする腕を掴む。ルイの目が自分を見つめる。その目には、悲しみが浮かんでいる。確かに、自分の体は続きを望んでいるようだが、このまま欲望に従っては、道を踏み外してしまう。

「……やっぱり、僕じゃ駄目ですか?」

少年の目に、うっすらと涙が浮かんだ。その儚げな表情がコウハの支配欲を刺激する。

(くそっ! コイツ、可愛すぎるぞ!)

気がつくと、手を離していた。戒めを解かれたルイは、コウハのズボンをずらし、天を突く剛直をうっとりと見つめた。

「やっぱり、船長のは凄いですね……」

ルイは舌を伸ばし、その先端をぺろりと舐める。

「……ちょっと、塩っぱいです」

フィリディ特有の、ざらりとした舌の感触が、敏感な粘膜を通して伝わってくる。コウハは、躊躇することなく自分の性器に口をつけるルイを、呆然と見つめた。これはやはり何か恣意的なものが絡んでいるとしか思えない。しかし、早く止めなければと理性がいくら叫んでも、快感を求める体は動かない。

「ルイ、そのまま続けてくれるか?」

少年はこくりと頷き、猛りを口に含む。なれない手つきながらも、懸命に口を上下させる。粘膜と粘膜が擦れ、心地よい感覚がコウハを包む。

「んっ、んっ」

ルイの口を塞ぐ欲望の塊。苦しそうに鼻で息をしながら、一生懸命奉仕するその姿を見ていると、どうしようも無く愛おしくなってくる。その体を独り占めにしたい。汗で少し湿った柔らかい毛並みを、そっと撫でた。

「ほら、舌も使って。自分が気持ちいいところを舐めれば良いんだ」

(……俺は、何を言っているんだ?)

自分の口から出た言葉に、戸惑う。しかしその動揺は、一気に強力になった快感に、かき消される。ザラザラとした舌が、雁首を、裏筋を撫で、ちろちろと尿道口を刺激する。コウハは息を吐き出して、腰を浮かせた。

(コイツ、上手い。)

「くはぁ。いいぞ、ルイ」

ルイが心底幸せそうな笑みを浮かべた。気を良くしたのか、今まで以上に舌の動きが激しくなる。手を熱棒の根元に沿え、頭全体を上下させることで自分に対する尊敬の念を伝えてくる。コウハは艶かしい背中のラインを手の平で味わい、くねくねと蠢く尻尾を軽く扱いた。そのまま臀部まで持っていき、柔らかい双丘を揉みしだく。

「んはっ!」

双臀を広げると、ルイが大きな反応を示した。そっと谷間も撫でてやる。

そうやってルイの体を堪能していると、その動きがふと止まる。

「ん? どうした?」

「ぷはぁ……船長、お願いがあるんですけど……」

強張りから口を離したルイが、伏目がちにコウハを覗き込んだ。腿をもぞもぞと動かし、いかにも物足りないといった目をしている。

「あの……僕に、入れてくれませんか?」

「駄目だ!」

コウハは思わず大きな声を上げた。驚いたルイがびくっと体を縮こませる。

「すっ、すまん。でも、それだけは駄目だ」

「どうして……ですか?」

「それは……」

「僕のこと、キライ……ですか?」

耳をぺたんと倒し、純粋なあの目が見つめてくる。しかし、出来ればこの一線は越えたくない。

「でも……船長があんなことするから、我慢できなくなっちゃったんですよ? このままじゃあ、僕、どうかなっちゃいそうなんです……」

誘惑の声。確かに、ここまで進めておいて、いまさら引き返すわけには行かないだろう。それはあまりにも無責任すぎる。それとも、この考え方自体が既に狂っているのだろうか? コウハはごくりと唾を飲み込んだ。

「お前は……いいんだな?」

ルイが口を開き、答えようとする。しかしコウハは、答えを聞く前にその口を押さえた。

「いや、さっきの問いは取り消す。これからお前にやることは、全部俺がやりたいからやるんだ。お前の意思じゃない。俺が抱きたいから、抱く。いいな?」

今度は答えを待たず、ルイの体を押し倒した。この行為を始めたのは、全て自分の責任だ。まだ若いルイに責任を負わせるわけには行かない。もし、全て終わった後に、このことを後悔したとしても、ルイが自分を責めないようにするべきだ。それでも傷つくだろうが、無理矢理自分に犯されたのならば、コウハを憎めばそれで済む。

コウハは迷いを捨て、ルイの体にむしゃぶりついた。突然の出来事に呆然とする口を塞ぎ、舌を入れる。口腔内を乱暴に犯し、手で尻を鷲づかみにする。

「はぁ、はぁ……可愛いな、ルイは」

無抵抗にされるがままの体をぎゅっと抱きしめる。小さくて折れそうな体躯が、愛おしくて堪らない。ルイをもっと良く知りたい。コウハは本能に導かれるままに、身を動かす。尻の穴に指を持っていき、一思いに突き刺す。

「にゃはっ!」

コウハの背に、ルイの指が食い込む。きつく締まった入り口を解し、その緊張を解いてゆく。何度か抜き挿しを繰り返し、抵抗が少なくなったところで二本目。

「せんちょっ、きもち、いいです」

そう言ってはいるが、実際には少し苦しいのだろう。顔をしかめている。

「ルイ、ごめんな」

二本に増やした指で、時間をかけて、だが確実に蕾を拡張していく。なるべく苦痛を与えまいと、片方の手でルイのそそり立つモノを刺激する。少年の顔に浮かんだ緊張の色が、だんだんと薄くなってきた。二本の指を回して根元までねじ込むと、腸内の熱気を帯びた肉がコウハに絡みつく。

「せんちょのゆび……ちくちくしてきもちいい……」

身を起こしたコウハは、自らが開拓する肛道に目をやる。ゆっくりと抜かれる指についてくる、ピンク色の肉がひどくいやらしい。ルイの痴態をみて、否応無く自分の神経が高ぶるのを感じる。

「ルイ、もう我慢できない。入れるぞ」

「はぃ」

肉門に照準を合わせたコウハが、ぐっと腰に力を入れる。流石に簡単に飲み込めるほど柔らかくはなっていなかったのか、排泄口は異物の侵入を拒否する。

「力を抜け。ほら、息を吐いて」

ルイの胸に手を当てて、手の平全体でまさぐる。徐々にではあるが、硬く閉ざされた窄まりの肉が、コウハを受け入れ始める。

「いいぞ、ルイ。その調子だ」

眉間にしわを寄せた余裕のなさそうな顔に、ルイは懸命に笑顔を浮かべた。あまりにも健気なその姿勢に、コウハは陥落する。もう、この可愛いルイを手放したくない。ずっと一緒に居たい。そして、一生守ってやりたい。愛の告白ともとれる気持ちを胸に抱きつつ、コウハは歩みを進めた。

「はいっ……た」

ルイがつぶやく。遂に蕾がコウハの先端を受け入れたのだ。限界まで広がった肉環から、ルイの命の鼓動が伝わってくる。他人の生命に触れ合う感触。

気持ち良い。

「偉いぞ、ルイ。本当にお前は良い子だ」

目に掛かった髪をそっと取り除き、頬を撫でる。口の中に指を入れ、尖った牙の感触を確かめた。

「あと少しだからな」

先端が入れば、後は比較的スムーズだった。直腸内のひだを押しのけ、怒剛がルイの体内を貫いてゆく。

「はっ、はっ、はっ」

激しい拡張感に、ルイが大きく口を開けて酸素を吸い込む。しかしコウハは、ルイが求めているから――いや、自分がそうしたいから、躊躇せずに腰を突き出した。根元に達するまで自らを挿し込み、動きを止める。

「全部入ったぞ、ルイ。お前の中、すっごくいいぞ」

「にゃはあっ! ぼくのおなかに……」

「そうだ。お前の体内に俺が侵入してるんだ」

「せんちょ……ぼく、せんちょうのこと」

言い終わる前にその口を塞ぎ、自分の体液を流し込む。ルイの喉が動き、流し込まれた唾液をこくこくと嚥下してゆく。コウハは、ルイの口を塞いだまま動きを止め、ルイの腸肉が自分に馴染むのを待った。

緊張していた入口が解れ、自分を受け入れつつあるときを見計らい、腰を前後させる。

「んあっ! あっ! せんちょの、あつっい!」

コウハが突くたびに艶っぽい嬌声が飛び出す。大きく腰を引くと、柔肉が猛りに絡みつき、淫肉を体外に晒す。そして、一気に一突き。

「ああっ!」

小さな体がビクンと跳ねる。大きな刺激を与えるたびに、腸内がきゅっと締まり、コウハに快感を与えてくれる。自らの肉体が欲するままに、何度も長いストロークでルイを責め立て、快楽を貪る。

「にゃっ! もう、だめっ!」

ルイの絶頂が近いことを見て取ったコウハは、その猛りを握り、一気に扱き上げた。

――ビュクッ! ビュビュッ!

雄が脈打つたびに、肉門がコウハをぎゅうっと締め付ける。きつくなったところで一気に竿を引き抜いた。コウハを包んでいた輪っかが、べろりと捲れ上がる。

「きゃうっ! やめてっ!」

ルイが悲鳴を上げる。頂に到達し、敏感になった体にはきついはずだ。コウハは細身の体躯に覆いかぶさり、激しく腰を打ちつける。

――パンッ! パンッ! パンッ!

「ルイ! いいぞ!」

歯を食いしばったルイに、答える余裕は、無い。激しい動きにもかかわらず、自分の尻尾にしっかりと絡み付いている柔らかい毛の感触が、コウハを受け入れていることを示していた。小柄な少年の頭を自分の胸に抱き、何度も何度も突き上げる。理性の箍が外れてしまったかのように、その行動には何の遠慮も無かった。

コウハが口を大きく開いてルイの首筋を強く咬んだ。尖った牙が毛に覆われた皮膚に食い込み、己が支配者であることを少年に刻み込む。華奢な体から放たれる淫靡な匂いが敏感な鼻粘膜をまさぐり、強烈な保護欲を沸きたてる。

(俺は、コイツを放さない……)

ルイの目の焦点が合わなくなってきた頃、ようやくコウハは、オルガズムへの階段を上り始めた。

「くっ! 出すぞっ! 受け取れっ!」

「ふぁ……にゃぅぅ……」

――ドクンッ! ドクッ、ドクッ、ドクッ!

欲望の塊を、ルイの体内にぶちまけた。逸物を深く深く突き刺し、体の中を白濁液で犯しつくす。これで、自分のものだ……

コウハの瞳から意識のともし火が消え、二人は床に倒れ込む。体液にまみれた二人の獣を、電子の目がひっそりと監視していた。

「ん? どうしたんだ?」

股間に感じる、ぬるりとした感触。そして自分の下には、意識を失っている可愛らしい少年。

「そうだ! ルイ! 大丈夫か!?」

頬を軽く叩いてみるが、反応が無い。口に耳を近づけると、微かな空気の流れがある。疲れ切って深い眠りについているようだ。

気を失っている少年の、足の付け根から垂れる自分の体液を見て、コウハは再度激しい後悔に襲われる。全身から力が抜け、再び床に座り込む。

(俺は……なんということをしてしまったんだ?)

ルイの頬に手を当て、幾度と無く謝る。

(ごめんな、ルイ。俺がしっかりしてないから、こんなことをしちまった……。全部、俺の責任だ……)

それでも何とか気を奮い立たせ、体を清めに向かう。コウハの腕の中で眠っている少年は、妙に軽いように感じられた。

シャワーを使って、汚れた体を丁寧に洗っていると、ルイが身動ぎする。

「んにゃ……。せん……ちょう?」

眠そうに目を擦る。首を傾げ、今、自分が置かれている状況を整理しているようだ。

「あっ! 船長!」

「ルイ、何も言うな。直ぐに綺麗にしてやるから」

有無を言わさぬ口調に、ルイは黙り込む。水が弾ける音だけが、浴室に響く。

コウハは機械的に作業を続ける。対象が下半身に移ったときには、ルイが恥ずかしそうに抵抗を見せたが、気にせず洗う。流石に中までは無理だが、大部分は既に流れ出ているだろう。それほど自分が激しく突いたのだ。

「これでいいな。立てるか、ルイ?」

「はい……」

足に力を入れ、体を支えようとする。しかし、足元がおぼつかない。バランスを崩し、ゆっくりと身体が傾く。

「っと。やっぱり、無理そうだな……。ごめんな」

「船長、僕は……」

「ルイ、今はいい」

手のひらで口を塞がれた少年がうつむく。普段はピンと元気良く立っている耳が、力なく倒れていた。その顔に表情は今にも泣き出しそうである。コウハはその体を優しく包み込みたい衝動に駆られたが、ぐっと堪える。

ルイを無言のまま居室に送り、少し休めと言い残して部屋を出る。惨事の痕が残る司令室へと戻り、コンソールの前へ立つ。

――ガンッ! ガンッ! ガンッ!

拳をコンソールに打ち付け、牙を剥き出して声を張り上げる。

「おいっ! 自分が何やったか、分かってんのか!」

〈船長、私はただ……〉

――ゴッ!

もう一発。その重い一撃で、丈夫な毛皮に守られている拳に血が滲む。

「だから、何をやったのか聞いてるんだ!」

激情に駆られたその姿に気圧されたのか、いつもの軽口を叩くのも忘れて経緯を淡々と述べる。

〈私はフラックスチューブの中から、特徴を持った繰り返し信号を見つけました。その意味の解読は出来ませんでしたが、チューブの先端、惑星側の動物達の行動から、ある仮説を立てたんです〉

コウハは身動き一つせず、AIの説明に耳を傾ける。

〈チューブの影響範囲内の動物は、繁殖行動を行っていました。それも、種族内だけではなく、異なる種族の間でも。その信号を送った、大斑点の目的は分かりませんが、引き起こす結果は予測がついたんです。おそらく、生物を繁殖行動に駆り立てるのだろうと〉

少し間がひらく。聴こえるはずは無いのだが、コウハにはディクタルが息を吸う音が聞こえたような気がした。

〈私は……私は、お二人がどういう反応を示すか、試したくなりました。だから、その信号を船内に誘導したんです。危険が無いように、フィルタを通して。もし、危険があれば、すぐさま止めるつもりでした……〉

「ルイが体に異変を感じたとき、なぜ途中で止めなかった?」

感情のこもっていない冷たい声で、コウハが問う。その様子は、まさに嵐の前の静けさと言うに相応しい。

〈……それは……ルイ君が船長に憧れてたようだったので……〉

再び大きく口を開け、烈火のごとく怒声を浴びせる。唇を上げ、凶暴な牙をむき出しにして荒れ狂う。コウハが滅多に見せない、野性の姿。

「だから、そのままにしたのか! ルイが俺に惚れてるから? 俺に抱かれたいと思ってるから? お前、ルイが本心でそんなことを考えたと思ってるのかっ! お前は分かってないんだ! あれくらいの年の心が、どれほど脆いのかを。ルイみたいに純粋な子供が、突然あんな状況に置かれたら、勘違いするに決まってる……」

最後の声は悔しさの涙によって滲んでいた。その大きな感情の起伏は、コウハの精神状態が不安定になっていることを示していた。

「お前、どうするつもりなんだ? もし、ルイが今回のことを気に病んで、自分を責めたら。今までお前がやってきたように、大の大人になら別に良い。俺も気にしない。自分の判断に対する責任も取れる。でも……でも、あいつはまだ子供なんだっ! それに、普通の精神状態じゃなかった。男に抱かれたっていう事実は、もう消せないんだぞ! しかも、自分から求めて! 一体、どうするんだよぉ……」

その言葉は、自分に向かって発せられたものだった。いくら外部要因が影響していたとはいえ行為を行ったことは事実だ。責任は取らないといけない。

〈船長……軽率でした。本当に申し訳ありません。私は、してはならないことをしてしまった……。どうすれば? 私はどうすればいいんでしょうか? こういう時は、一体どうすれば……〉

今までに聞いたことが無いほど、困惑した声が聞こえる。コウハは言いたい気持ちをぐっと抑える。確かに、きっかけとなったのはディクタルの勝手な行動である。しかし、そもそもその原因となる提案をしたのは誰だ? 肉体構造も、精神構造も人間とは全く異なるAIを、これ以上責めるのは、単なる責任転嫁ではないのか? 体験していないことを、予測して回避しろといっても無理な話だろう。特に、心の問題に関しては。

「お前はどうもしなくて良い。ただ、これから同じ間違いをしないでくれれば。心は、思った以上に繊細なんだ。お前も含めて、な。だから、この件のことはもう考えるな。お前がきっかけを作ったとはいえ、実際にやってしまったのはこの俺だ。後は俺がどうにかする……」

とはいえ当のコウハも、これからルイに対してどう接すればいいのか、皆目検討もつかない。

〈船長……船長は、ルイ君のこと、どうお思いなんですか?〉

その言葉に、コウハはふと考えさせられる。一体、自分自身の心はどうだったのだ? 流れのまま抱いてしまったのか? それとも、ルイが好きだったから抱いたのか? いや、絶対に前者ではない。これだけは断言できる。では後者か? だとしたら、俺はルイの何処が好きなのか? 見た目か? 言動か? 能力か? 分からない……

「船長……」

すっとドアが開き、か細い声が聞こえた。コウハは振り返らずに言う。

「ルイ、休んでろって言っただろ?」

「でも、僕、謝りたくって……」

おぼつかない足取りで、コウハの前まで歩いてくる。

「なんで……お前が謝る必要がある?」

「それは……僕が、ワザとやったからです。僕、分かってました。自分の体がどうなったのかも」

淡々と先を続ける。

「僕、ずっとずっと前から船長のことが……」

「待て!」

コウハの声が司令室に響く。

「言わせてください! 僕、船長のことが好きだったんです!」

小さな体から発せられたとは思えない、大きな声が、コウハの言葉を圧倒した。今までの思いを全て吐き出すように、ルイが捲し立てる。

「でも、そんなの普通じゃないですよね? 初めは、勘違いかなって思ってました。ただ憧れてるだけなんだって。でも、やっぱりそうじゃなかったみたいなんです。だけど、そんなこと言ったら、船長に迷惑かけちゃう……。だから、このまま我慢するしかないのかなって思ってたんです。そしたら、突然あんなことが起きて……」

ルイは、自分の犯した罪を苦々しく告白する。血を吐くように歪んだその顔を、コウハはただただ見つめるしかなかった。

「ルイ……」

「僕、チャンスだって思っちゃったんです……。上手くやれば、船長のこともっともっと良く知れると思って。本当にごめんなさい! あんなことさせちゃって。船長はすっごく優しいから、僕そこにつけこんじゃいました……。最低ですよね……」

ルイの目から大粒の涙が零れ落ち、コンソールを濡らす。コウハはそっと手を回し、ルイを胸に抱く。セッケンのいい香りが鼻をくすぐる。

「船長?」

「ルイ、お前俺の言葉、忘れたのか? 俺が抱きたいから抱くっていっただろ? 俺はいくら頼まれても、好きじゃないやつは抱かない」

己の腕の中に居る体が、びくっと震える。

「えっ?」

「お前、俺を信じてないのか?」

「いえ、そんなこと無いです」

「じゃあ、そういうことだ」

腰に太い尻尾を回すと、ふわっとしたルイの尻尾が絡みついてくる。ルイの呼吸が少し落ち着くのを待ち、静かに言い聞かせる。

「ただ、今から言うことはもう一度考えてみてくれ。俺はもう大人だ。だから、自分がお前を好きなことが分かるし、その責任も取る覚悟はある。でも、お前はまだまだ子供だ。いくら優秀でもな。しかもあんなことがあったら、誰でも相手のことを好きになるのは当たり前だ。例えそれが勘違いだとしても」

無駄な贅肉のついていない腕が、ルイの手にぎゅっと締め付けられる。

「船長! それは違います! 僕は、本当に……」

心の底から搾り出すような声。

「分かってる。それは十分に分かってる。でも、結論はそんなに急がなくて良いんじゃないか? それに、お前にはお父さんやお母さんが居るだろ? ご両親のことも考えてやらないとな。どうせ帰るまでにはもう少しあるんだ。ゆっくり考えれば良い」

「でも、僕……」

「ルイ、今日はこれで終わりにしよう。何事も、急いだら失敗するぞ? な?」

口をつぐみ、小さく頷くルイ。おそらく、自分の言葉に満足はしていないだろう。それも当然だ。本当に時間が必要なのは、ルイではなく、自分なのだ。それをルイのせいにしたことは、ひどく卑怯なことだと思う。一体、自分はどうしたいのだろう? 依頼期限を考えると、残された時間はそれほど多くない。それまでに答えは出るのだろうか?

コウハが予想した通り、ヤマシロ星系に帰る日はあっという間にやってきた。あの後、得られた情報を元に、問題の惑星‐衛星間に存在する生態系の関係を推測し、報告資料としてまとめた。

コウハたちの推測によると、各大斑点が一個の生命体として機能しており、彼らの繁殖活動のために、衛星上の動物達を利用しているのではないだろうかということだった。ガス惑星上の大斑点と、衛星上の動植物のグループは一対一で対応しており、動植物の構成や行動パターンが大斑点の〝遺伝子〟に当たる。そして、繁殖活動を行う際には、動物のグループ全体を一度統合し、〝遺伝子〟を交換した後に再分裂させる。新しく出来た二つ以上のグループが、新たな大斑点の〝遺伝子〟として機能する。

つまり、大斑点達は一度自分達の遺伝情報を動植物のグループに受け渡し、その生殖活動を通じて自分達の遺伝情報を交換していたのだ。グループには良く似たものがあったが、おそらく〝血縁関係〟が近いことを示しているのだろう。そのためには、大斑点と衛星上の動植物の間で、情報をやり取りする必要がある。その経路となっていたのが、ガス惑星と衛星の間に出来る電気の通り道、フラックスチューブである。

何故そんなにややこしいことをしているのかは、コウハたちにも分からない。しかし、ここで行われていることはそういうことだと予想している。

この奇抜な着想を得たのは、ルイである。詳細検討はコウハとディクタルで行ったが、今のところ、観測事実と良く合っている。もちろん、専門家から見れば穴だらけの理論だろうが、完全に間違っているとも言いがたい。追加報酬は堅いだろう。もしかしたら、大発見の功労者として教科書に名を残せるかも知れない。ルイの思い付きが無ければ、この結論には達することが出来なかった。

依頼の期限が近づく。コウハたちは、センシング衛星に問題が発生していないことを確認し、ヤマシロ星系に帰還することにした。

「MPDアークジェット始動。惑星から十分距離をとった後に核融合パルスエンジンに切り替え、マイクロブラックホールへ向かう」

〈了解。MPDアーク、始動します〉

コウハは、電気推進らしい微かな加速を感じた。よっぽど宇宙船に乗りなれていない限り、気付かないほど小さなGだ。モニタに表示された外部カメラの映像に目をやると、急速にまだら模様のガス惑星が小さくなってゆく。同じ映像を感慨深そうに眺めるルイを、横目で見る。もうそろそろ、結論を出さないといけない。しかしコウハは、報告書が詰めれていないことを理由に、そのタスクを棚上げしていた。

〈核融合パルスに切り替えます。人工重力を調整するので、ちょっとの間どこかに掴まっていてくださいね〉

核融合パルス駆動になると、一気に加速度がアップする。飛燕級恒星間宇宙船には、SLMFLYを応用した人工重力発生器が搭載されているが、それは重力は作り出せても、弱めたり消したりすることは出来ない。そこで、加速をおこなう際には、その分人工重力を弱めるのだ。いくら核融合パルスが強力とは言っても、一Gを超える急加速は行わないため、これでも問題は無い。さらに高推力の反陽子エンジンとなると、保護カプセルに入らないと危険なほどの高Gが発生するが、反物質は非常に高価なため、日々の暮らしにも困窮しているコウハたちは滅多に使うことは無い。反物質を使うのは、ジャンプのときだけだ。

〈UCA201星系のブラックホール付近です。この辺でいいですか?〉

重力ポテンシャル・マップを見ると、現在位置とマイクロブラックホールはまだずいぶん離れている。これには、理由がある。マイクロブラックホールは、幡種船に搭載されているSLMFLYと反物質反応炉により、半永久的に保持されている。マイクロブラックホールは空間を突き破るほどの強力な重力をもっているものの、そのサイズは非常に小さいため、全体のエネルギー量は結果的に小さくなる。そのため、SLMFLYを使えば、ごく少ないエネルギーで維持できるのである。しかし、幡種船が破壊されてしまえばその限りではない。

SLMFLYとは、強制的に物質波の位相をそろえ、重ね合わせてしまう装置である。その結果、〝もつれ合った〟物質が容易に作れる。これを利用するのが〝ジャンプ〟である。また同時に、物質自体は低エネルギー帯に遷移し、超高密度の状態が作られる。これはマイクロブラックホールの発生・維持や人工重力制御に利用される。

では、その差分のエネルギーは何処へ行くのか? それは、SLMFLYがバッファリングしているのである。正確に言うと、起動時に投入されたエネルギーを使って、無理矢理物質からエネルギーを引きずり出し、高密度化しているのである。では、SLMFLYが終了するときはどうなるのか? 物質から引きずり出されたエネルギーは、再度物質内に吸収されるため、問題ない。そもそも、SLMFLYはこのエネルギーを少し離すのが限界で、完全に取り出すことはそもそも不可能である。

最初に投入されたエネルギーはどうなるのか? それは、少しのロスはあるものの、ほぼそのまま戻ってくるのである。これが、SLMFLYの利点であり、欠点でもある。SLMFLYの起動には――対象の質量にもよるが――おおよそ小型の水爆一発分くらいのエネルギーが必要である。ジャンプ終了時、ジャンプの出発地点にSLMFLYが存在すれば、そのエネルギーを還元して再利用することが可能である。これは、MBPには非常に都合が良い性質である。

しかし、リコネクターが利用する、CIRGNAI航法では大問題となる。CIRGNAI航法を使えば、出発地点、到着地点にMBPが無くてもジャンプ可能である。しかしこの場合、SLMFLYはジャンプする宇宙船に搭載されているため、ジャンプと同時にSLMFLYも移動してしまう。するとどうなるか? ジャンプと同時に出発地点で投入されたエネルギーがそのまま解放されるのだ。結果は大爆発。その場に何か居れば、問答無用で木っ端微塵である。もちろん、そのエネルギーは全て無駄になる。これが、ヤマシロ星系を旅立つ際にわざわざMBPを利用した理由である。ちなみに、到着地点には全く影響を及ぼさない。リコネクターとは〝立つ鳥跡を思いっきり濁す(放射線つきで)〟存在なのである。

今回の場合、マイクロブラックホール――幡種船――の近くでジャンプすると、マイクロブラックホール自体を破壊してしまうのだ。そうなっては、人類がUCA201星系に来ることが出来なくなり、報酬どころの騒ぎではなくなってしまう。

「よし、ここなら影響ない範囲だな。ジャンプしろ」

〈了解、人工重力が不安定になるので、シートに座ってください。おそらく、四百秒くらいでもつれ合いが完了します〉

コウハとルイがシートに体を固定すると、すぐさま体が軽くなるのを感じた。と同時に微かな振動。反物質炉で対消滅反応が進み、得られたエネルギーをSLMFLYに投入しているのだ。そのままの状態で十分ほど待つと、急に静かになった。

〈もつれ合いが完了しました。ヤマシロ側からも許諾を得ました。CIRGNAI開始します〉

ディクタルの言った待ち時間と、実際に掛かった時間との差は、ヤマシロ星系からジャンプの許可を得るのに時間が掛かったからだろう。ヤマシロ星系及び、ヤマシロ星系と交流をもつ星系にジャンプする場合は、事前に許可を得る必要があるのだ。

次の瞬間、見慣れた惑星が目の前に現れた。JHK104ヤマシロ星系の商業・住宅の中心地、第四惑星ヤマシロδだ。ルイの故郷でもある。コウハとルイは積載スペースプレーンに乗り換え、ルイの兄であり、コウハの依頼主であるショウと落ち合うために静止軌道ステーションへと向かった。ルイは久しぶりの無重力環境を楽しみながら、コウハは今後のことに気を揉みながら旅路を続けた。ルイのはしゃぎっぷりを見る限り、ディクタルに乗って、旅を続けることは、もう既成事実だと考えているのだろう。コウハは気付かれないように、こっそりため息を吐いた。

静止軌道ステーションに積載機を接続し、待ち合わせ場所であるファミリーレストランへと向かった。席に座ってアイスティーを二つ注文したところで、ショウが現れる。ただし、一人ではない。ショウの横に居る気の強そうな女は室月沙良ムロツキ サラ。室月家の長女でショウの妹、ルイにとっては姉に当たる。

「あら、コウハ! 久しぶりじゃない! ディックは元気してる?」

このサラはAIエンジニアをしている。この年にして、既に星系中に名を轟かしているらしい。室月家は人材に恵まれているようだ。人格崩壊の危機に陥ったディクタルを救ったのも彼女である。ただ、ディクタルが男色家になったのも、残念ながら彼女が原因なのだが。

「まあ、な。それよりショウ、先に送ったレポート読んだか?」

メガネをかけた寡黙な研究者といった風情の青年が、向かいへ座る。

「あっ! お姉さん、ホット二つね。ああ、読んだよ! 凄い発見じゃないか! 正直あそこまで出来るとは思わなかったよ。流石、一級のリコネクターは違うね!」

「いや、このルイが居たからあそこまで分かったんだ。俺たちだけじゃ、多分無理だった。お前ら一家は凄いよな」

「だろ! ルイは凄い優秀なんだ。絶対に俺達より凄い奴になるに違いないぞ!」

コウハの褒め言葉に、ショウは破顔一笑する。コウハの親友でもあるこの青年は、年の離れた弟を溺愛している。いわゆるブラコンというやつである。ショウの横を見ると、ルイをじっと見つめるサラの姿。そういえば、こちらもショウに負けずとも劣らないブラコンだった。このような兄姉に囲まれて、ルイがまともに育ったことにコウハは感心する。

その後、追加報酬に関する交渉を行い、新発見の権利に関する細部を詰める。追加報酬は予想よりかなり多い。これは、ルイにご馳走をおごる必要があるなとコウハは思った。

ショウとの話に区切りがついたとき、サラがルイに問いかける。

「ねえルイ、コウハに何かされなかった?」

ニヤニヤした笑みを浮かべる顔を見て、コウハはすっと血の気が引くのを感じた。偏屈者のディクタルが唯一完全降伏する人物。それがこのサラである。ディクタルを通じて、自分とルイが肉体関係を持ったことは、既に知られているに違いない。だから、ショウに付いてここまでやってきたのだ。

ルイがちらちらとコウハの様子を伺う。誤魔化すのは、無理だ。ここは正直に話した方が良い。勘の鋭い女性を欺くことは不可能に近い。

「ショウ、サラ、落ち着いて聞いてくれ」

一度言葉を切ってアイスティーを啜り、からからになった口を潤す。サラは笑みを浮かべたままだが、ショウは急に会話のトーンを変えたコウハをいぶかしげに見つめる。

「あの、お前達にいきなりこんなことを報告して悪いんだが……。まあ、今から言うことは、ある意味大発見の報告より大事というか……」

「コウハ、はっきりしなさいよ! なにがあったの?」

ルイが勇気付けるように、そっと腿を掴んでくる。コウハは意を決した。

「俺と……俺とルイは結ばれたんだ……」

「はっ?」

ショウがポカンと見つめてくる。

「全く、ウブなんだからショウ兄は。コウハとルイがやっちゃったってことでしょ。えっちよ、えっち」

直接的な表現をするサラに、コウハは焦る。親友が自分の家族に手を出したのだ。それも、よりによって同性であるはずの弟に。コウハはどんな罵声も受け止める覚悟で、身を構える。大人しそうではあるが、ショウは怒らせると怖い。

「ああっ、そういうことか。おめでとう、ルイ」

「へっ?」

むしろ、驚くのはコウハのほうであった。思わずアイスティーをこぼしてしまう。

「おい、何やってんだよ! ほら、タオル」

ショウがタオルを投げ寄こす。ズボンにこぼれた水分をふき取りながら、ショウに問う。

「怒らない、のか?」

「何で怒らないといけないんだ? 信頼できる親友に可愛い弟が嫁ぐんだ。めでたいじゃないか。お前、ルイのこと気に入ってくれたんだろ? これからも大切にしてくれよ」

急展開されるその理論に、コウハは付いていけない。いつの間に、ルイと自分が結婚することになったのだろうか?

「おい、待て! 勝手に話を進めるなよ! 俺はルイを連れて行かないぞ!」

コウハがそう言った瞬間、その場の空気が一瞬にして凍りついた。

「ええっ! 船長! そんな、約束が違う……」

恥ずかしがりながらも、何処か幸せそうだったその顔が一転、今にも泣き出しそうになる。横を見ると、自分を責める四つの目。サラなどはいつの間に持ったのか、ナイフを手にしており、今にも自分を刺してきそうだ。

「それ……どういう意味かしら?」

「みんな、落ち着け! 早まるな、サラ!」

コウハが大慌てで弁解を始める。サラなら本気でやりかねない。

「俺がルイのことを好きなことに変わりは無い。だから、ルイを危険に晒したくないんだ。俺と一緒に居るより、ここに居た方が安全に決まってるだろ? なあ?」

引き攣った笑みを浮かべ、同意を求めるコウハ。サラは首を横に振る。

「コウハ。それ、嘘でしょ?」

「嘘なんかじゃ……」

「いいえ、嘘よ。それに、何か悩んでるわね。貴方が、そんな一般論を振りかざすはずないもの。正直に言いなさい。でないと、刺すわよ。ね? ショウ兄?」

ショウも立ち上がり、怪しい構えを見せている。また何か新しい武術に嵌っているのだろうか? 何れにしても、絶体絶命の大ピンチである。

これはもう正直に話すしかない。こうすれば誰も傷つかないで済むと思ったのだが、それは間違いだったようだ。これから話すことを聞けば、ルイが傷ついてしまうかも知れない。しかし、いまは他の手段はなさそうだ。

「分かった。正直に話すよ。俺、ルイのことを本当に好きなのか、自分でも分からないんだ……」

がっくりと机に手をつく。怖くてルイのほうを見れない。

「船長ぉ」

涙声のルイ。

「ルイ、最後まで聞こう。コイツは真面目な奴だ。何か理由がある」

サラもナイフを下ろし、椅子に座る。

「分からないって、どういうことかしら?」

「ああ。俺、ルイを見てると、胸が締め付けられるというか、抱きしめたくなるというか、放したくなくなるというか……。まあ、我慢できなくなるんだ」

「それって、好きってことなんじゃないの?」

サラの問いに、顔を伏せたままうんうんと首を振る。それにしても、今の状況は異常だ。俺の思い人は親友の弟で、本人の目の前で、兄姉相手に恋の相談をしている。何故こうなったのだろうか?

「そう……だと思う。でも、その理由が気になるんだ。ルイが可愛いから好きなのか、優秀だから好きなのか……。それとも、ルイが儚げだから、俺が単に保護欲を押し付けたいと思っているだけかも知れないだろ? もしそうだったら、ルイに失礼じゃないか! こんな俺に、ルイを愛する資格があるのか?」

コウハの真剣な告白に、サラがため息をつく。

「はぁ……。ねえ、コウハ。貴方、自分が今のろけてるって分かってる? どう考えてもルイにぞっこんじゃない。全く馬鹿らしいわ。心配しちゃって。その年で〝愛する資格〟とか、聞いてるこっちが恥ずかしくなるわよ。変なところでクソ真面目なんだから」

コウハはそっと頭を上げる。

「そんなにぶつぶつ理屈垂れないでも、単純にルイのことが好きってことでいいじゃない。それとも貴方、ルイと離れて平気なの? この子可愛いから、直ぐに新しい恋人できるわよ」

その言葉に、コウハははっとした。それは耐えられない。ルイを失いたくない。やはり、自分はルイのことが好きなのだ。

「俺は、俺はやっぱりルイのことが好きみたいだ……」

「ほらルイ、やったじゃない! あなた、結構やるわね。堅物のコウハをここまでのろけさせるなんて、なかなかのものよ!」

「ね、姉ちゃん!」

抗議する少年の耳が、真っ赤になっている。とても愛らしい。

「ふむ。長い付き合いだが、コウハがこんなになるのを見るのは初めてだな。やっぱり我が弟は優秀だ」

「兄ちゃんも! 変な風に納得しないでよ!」

焦るルイをわらって見つめながら、ショウが先を続ける。

「じゃあ、コウハ。ルイに改めて言ってやってくれよ。お前の船に乗せてくれるんだろ?」

コウハは隣に座るルイの手をぎゅっと掴み、口を開く。

「ルイ、今まで心配かけてすまん。一緒に来てくれるか?」

「はい、船長。もちろんです!」

ルイが言い終わると、サラがぱちんと手を叩いた。

「じゃあ、これで契約成立! 後は二人でやってね。あっ、そうだっ! 一応、母さんと父さんにも許可取っといたほうがいいわね」

サラの言葉に、コウハは顔をしかめる。確かルイの父親は、いかつい大学教授で、リコネクターにかなりの反感を持っているはずだ。自分が言っても、事態をややこしくするだけな気がするが……

「コウハ、心配しなくても大丈夫よ。私と母さんが何とかするから」

「ショウ、本当に大丈夫なのか? お前達が説得してくれたらいいじゃないか」

「うーん……でも、こういうのは、やっぱり本人が行かないとな。一応、室月家の一員が貰われていくんだし。まあ、サラと母さん相手なら父さんは何も言えないと思うぞ」

ショウはどうしても、コウハとルイを結婚させたいらしい。本当は、ただ恒星船ディクタルの船員になる許可を得るだけなのだが。コウハは時々、ショウの思考に付いて行けなくなる。ショウとは頭の出来が違いすぎるからだろうか? 思考のずれ。それは、この一家に共通する項目かも知れない。

「……分かった。じゃあ、日程くらいは決めてくれ。そうすりゃ俺が直接会いに行く」

渋々ながら、室月一家の要請を受諾した。

「お前達、いいな。幸せそうで」

ふと、ショウがつぶやく。

「どうしたの、ショウ兄? 羨ましくなった? 紹介してあげよっか? 何人か可愛い子知ってるわよ。みんな男の子だけど」

「うーん……やっぱり止めとくよ。俺、長男だし」

コウハはその〝間〟が気になったが、あえて口は挟まない。もし、長男じゃなかったら、紹介してもらったのだろうか? それにショウには、割りと綺麗な彼女が居たはずだ。まあ、この一家が考えることは、良く分からない。コウハはそれ以上考えるのを止めた。

こうしてコウハの室月一家(+変態船)に振り回される日々が始まった。

まだまだ訪れるべき世界は多い。そこに眠るのは宝の山か? 死の香りか?

不確定性が支配するこの宇宙では、その答えは神も知らない……

『リコネクター』第一話 完

登場人物 =とじる=

天瀬光波(アマガセ コウハ)

キャニッシュのお兄さん。頼りがいのある、恒星間宇宙船の船長。若手のやり手リコネクターとして知られている。しかし、最近はどうも調子が良くない様子。

とっても頑張ってはいるのだが、同僚に恵まれず、結果に結びつかないことが多い。苦労人である。

室月留已(ムロツキ ルイ)

フィリディの男の子。真面目で繊細な美少年。祖父に憧れ、リコネクターを目指している。でも、父親に猛反対されており、その道はなかなか厳しそう。

基本的には優秀なのだが、少々天然が入っているような……。兄姉の寵愛を受け続けたせいだろうか?

室月翔(ムロツキ ショウ)

フィリディのお兄さん。ヤマシロ星系でも指折りの一級宇宙船技師。眼鏡で寡黙そうに見えるが、じつはかなり活動的。格闘技に嵌ってたりする。

ディクタルの船体をメンテナンスしているが、普段は試験飛行に立ち会って飛び回っており、なかなか捕まらない。

室月沙良(ムロツキ サラ)

フィリディのお姉さん。AIと少年をこよなく愛するAIエンジニア。コウハとは過去に色々あったらしい。ディクタルの人格破綻を防いで以降、ディクタルの頭脳のメンテナンスを依頼されている。

飛燕級恒星間宇宙船ディクタル

最新型の恒星間宇宙船とクラスSのAI。非常に膨大な知識を持っており、その能力はクラスSのAIでもかなり上位。ただ、性格悪し。師匠はサラ。いつも自分の体(船体)の心配ばかりしている。分析は得意だが、直観力では人間に劣る。